日記・コラム・つぶやき

2018年4月14日 (土)

基地見学会・・・朝日航洋川越基地

S76d
4月6日(金)に、かつての勤め先である朝日航洋株式会社、川越基地の見学会がありました。
OB会の主催です。

日本最大のヘリコプター運航会社で、ジェネラルアビエーション最大手の同社は、
西武流通グループの基幹会社でありましたが、トヨタ自動車グループの一社となり、
資本金32億円、年間売上300億円、従業員1300名に成長しました。
平成初め事故多発で、マスコミに散々叩かれたものです。

As365n32
同社には航空運送事業部と、空間情報事業部があります。
1982年に西武グループの朝日ヘリコプター㈱と、
測量調査の東洋航空事業㈱が合併して、朝日航洋㈱となりました。

西武新宿線南大塚駅に隣接して、8階建ての空間事業本社ビルがあります。
屋上には沢山のソーラーパネルが設置してありました。
発生した電力の充電設備もあって、非常用電力に充てるそうです。

Aw1391川越市郊外にあるメンテナンスセンターは、
同社の航空機(ヘリコプター)整備事業の本拠地です。
全く久方ぶりに訪れましたが、立派なビルが建っていました。
自社機だけでなく、各自治体ヘリや他社機の整備も受注しています。

格納庫には、ピカピカの自治体ヘリ新品機がありました。
いずれも最新鋭機です。
写真は;-
山梨県防災ヘリ・シコルスキー S-76D(アメリカ製)
神奈川県警ヘリ・エアバスヘリコプターズ AS365N3(フランス製)
高知県消防ヘリ・レオナルド AW139(イタリア製)
近年、イタリア勢の進出は目を見張るものがあります。
私はこの機種の免許は持っていません。

見学の後は社員の人達と、バーベキューを楽しみました。
若い女性が多くなったのにはオドロキです。
それも事務職だけでなく、現場の整備員や操縦職も多いそうです。
国家資格を取得して、確認整備士の誕生も近いでしょう。
尾暮社長に話したら「戻ってきますか?」ですってー。

ヘリコプター・ジャパン誌の私の連載記事「ヘリコプター・エッセイ」の
今回は「ヘリコプターとVIP」と話しました。
私が現役中、あるVIP機の専属クルーを丸4年務めたと話たら、
氏は興味を示されました。雑誌をお送りしましょう。
同日見学者のお世話をして下さった美人は、社長秘書だそうです。

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2018年3月28日 (水)

日記のやうなもの・・・あれやこれや

今夜はS氏夫妻と、2月の茨城県大洗へのドライブ旅行反省会?と称する飲み会。
2次会はまたカラオケ?


その1 腰部脊椎管狭窄症

3月26日 E病院整形外科のH医師で神経ブロック注射2回目。
これと内服薬で、脚の痛みは徐々に良くなるはずだと仰る。
最低3カ月は内服を続ける必要があるとか。
多少効果らしきものを感じることがあるが、まだ目立った進展はない。
信じるしかないか。


その2 自主運営文章教室

3月24日 今月の例会、初めて2作品を発表。
お題の季節の花、いつまで続くか判らないが今回は桜。
私の作品は「人間爆弾桜花」 少し重いお話。
もう一つは自由課題で「クジラを見に行く」
3月1日の日記を、エッセイ風に体裁を整えて参加。
写真は付けない。(エッセイに写真は邪道だという)


その3 パソコン水彩画

2010年から始めたお魚シリーズも、今回のツノダシが第98作となる。
毎月1作のゆっくりしたペース。
PC画を描く人は多いが、お魚ばかりというカバネヤミは、世界中で私だけだろう。

写真は;-

12010年2月の第1作、ナントカチョウチョウウオ
何もわからず描いてみた。小学生のお絵かき。


11_42010年12月の第11作、まとうだい
私の恋魚で、少しはまとまってきた。講座にも通った。

86_22017年3月の第86作、まとうだい
もう一度描いてみた。綺麗すぎて写真ぽくなってしまった。
整ってはいるが、面白味がない。









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2018年3月 7日 (水)

エッセイ 「ロスミナの風」・・・インドネシア ワイフ

2001年に文章教室で発表した、古いエッセイです。
若かりし頃、インドネシア赴任中のお話で、規定字数(1000±100字)に収めるのに苦労しました。
エッセイの味わいがあるでしょうか。

     ***********************
       「ロスミナの風」       

Photo
 日本人なら花子、美子といったところか。
ジャワ島出身の女性には、なんとかヤティという名前がやたらに多い。

 私とインドネシアの関わりは深く長い。
 現地合弁企業の創立から終焉まで、17年のあいだ3回にわたり、単身赴任で合計5年半かの地で暮らし、ほぼ全国各地を歩いてきた。
 そして何がそんなに良いのか今でもこの国が好きで、無関心ではいられない。

 彼女は首都ジャカルタで、3歳くらいの娘と遠縁の婆やと3人で暮らしていた。
夜の勤めなのだがその割にはすれてなく、むしろ古風で陽気、無類のお人好しでやきもち焼き。
食事のときでも、私が始めるまで絶対に自分から先には手をつけない。
 まるでかつての日本女性のようだ。名前をロスミヤティといい、あまり熱心でないモスリムである。

 中背で色は浅黒いが、華やかな顔立ちで若干太め。幾度もダイエットを試みるのだがあまり効果はない。
 娘は母親に似ずきゃしゃな感じの、色白で目のパッチリした、いかにも美人になりそうな子だった。
 娘の父親とは死別したのか離婚したのか、私は知らない。あまり触れられたくないようだった。

 その娘があるとき病気になった。インフルエンザらしいのだが、医者に見せたがさっぱり良くならないという。
 私がお世話になっている、若いが腕の良い日本人医師のところに、親子ごと連れていった。
 インドネシア語では風邪を引くことを「風が入る」という。温和で信心深いジャワ人らしい表現だ。
抗生物質の効果なのか、一発で直ってしまった。
 臆病な小動物のように人見知りをしていた娘が、その後は大分なついてきた。

 ある晩遅く、私の宿舎に彼女から電話があった。
「ねぇ、今夜はお店が休みなの。 今何してるの?」
「今? 電話にかかってる・・・」
「・・・・?」
 しばし絶句のあとぷぅーッと吹きだした。笑いごろげてるらしく、受話器を放り出した。
「ばかッ! あほゥ!」
 ここだけ日本語で、あとはすべてインドネシア語である。
用件が何であったか忘れた。

 一応の成功を収めて、インドネシアの仕事が終わり帰国するとき、私は彼女の希望で、ワルンというごく小さい雑貨のお店を開けるようにした。

 今私の持っている小さなヨットの艇名ロスミナは、彼女の名前からとったものである。

                  (了)

     秋期第5回(2001.12.12)課題-2「風」(1100字)
         *************************

縦書きを横書き書式に改めたほかは、原文の通りです。
もっと艶っぽい詳細は、こちらの日記をどうぞ。
http://rusmina-2.cocolog-nifty.com/blog/2009/03/0059-9177.html

もう時効になりそうですが、我が奥様にはくれぐれもご内聞に。
知れたら生命の保証はアリマセン。

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2018年1月29日 (月)

ちょっぴりエッチ4・・・ミニスカート

 ある雑誌に掲載されたコラムです。
*

          ***** ミニスカート *****
*
*

2010_0528sy0002春に入社した新人が、OJTを終えて職場に配置される時期である。

事務所でも昼休みには、新顔の生保レディが緊張した面持ちで、少々ぎこちないセールスをしている。

私のところに、ある大手生命保険の新人女性が、一人で挨拶にきた。
 顔なじみの古だぬき、イヤ失礼大先輩は、今日は付いていない。

しばし面談の後私は、にこやかに厳かに、こう宣言した。

「当事業所内で、営業活動して下さって結構です。セールスの皆さんには、二つのことをお願いしています。
 ひとつは、勤務時間中は避けること、もうひとつはミニスカートを着用して頂くこと」

彼女はお姉さんと呼ぶには、少し辛いものがある年齢。

夕方隣の所長さんが飛んできた。

「悪い冗談は止めなよ。彼女、思い余って俺のところに来たよ」

こういう純情な新人サンを、心から応援したくなった。
                         
 (雄)                        

   (コラム‐1) (2005.05.30) (20字×20行)

写真は;-
ミニがまぶしいS・Y嬢 池袋の東京芸術劇場で
写真のご了解は得てあります。

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2017年10月13日 (金)

日記のようなもの・・・ほや

その1 ほや

Photo
ホヤと言う食べ物をご存知でしょうか。
海底の岩などに着生する原索動物で、貝の様なタコの様な。
独特Photo_2の磯の香りのする強烈な個性の食い物で、酢の物にしたり、新鮮なものは刺身にもします。
宮城県や三陸地方の特産で、養殖もされています。
女房が亭主をほっぽり出して、孫や妹と女だけで温泉旅行。
そのお土産が乾燥海鞘(ほや)、これが実に美味。
キャラメル位の小箱で、350円くらいとか。
それほどクセが強くなく、日本酒にピッタリ。
酒は菊正宗の樽酒にしました。

その2 金精峠

何故か行ってみたくて、女房殿をほっぽり出して、久方ぶりのソロのロングドライブ。
奥日光から群馬県沼田へ抜ける国道の峠なのですが、標高は1500m近くあります。
どこにも寄らず、ただ走るだけ。
紅葉にはちよっと早かったが、戦場ヶ原から峠にかけては、始まった紅葉が美しかった。
我が家から東北道で日光へ、金精峠を越えて沼田から関越道で帰りました。約350㎞。

その3 歴史講座

Photo_3通っている歴史講座・戦国史最前線は、10月から新シリーズで「戦国を生きた女たち」。
その第1回は女城主で、NHK大河ドラマの直虎の詳説。
歴史資料には女性の記述が少なく、研究者泣かせだそうです。
それにしても、やはりNHKに忖度してるのかな。
この講座はJR東日本とNHKの共同企画です。

写真のホヤ実物は仙台「杜の水族館」で見られます。

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2017年4月27日 (木)

日記のようなもの・・・ある美術展

その1 新日春展

Photo

古い友人で関西在住の、若手女流日本画家から招待状を頂いた。
久々に東京の美展に入選したので、お越し頂けたら嬉しいですと。
日本画と洋画は、主に素材の違いであるらしい。
行かにゃぁなるめぇと最終日の24日、上野の都美術館に出かけた。
この美展は撮影自由なのも嬉しい。
ボリュームもさることながら、作品のグレードが高い。
「アフリカン・ドラムズ」は、まさしく彼女の絵だ。
もう一つは印象に残った「マリンスノー」という、オウムガイを描いたもの。
楽しめた。
*
*

その2 クルーズトレイン

昨日のTVニュースで、JR東日本が5月1日から運行する、クルーズトレイン四季島が紹介されていた。
最上級のスイートには、何と列車内にヒノキ風呂まである。Photo_2
コースと客室にもよるが、最高は一人115万円。
すでに来年3月末まで完売とか。
私はテッちゃんだが、これに乗るくらいならクルーズ船にする。
だって鈍行に乗っても、沿線風景は同じだから。
*

その3 大臣辞任

政治の話はしないのだが、ある大臣が辞任した。
させられた、と言った方が良いかも。
言っていることは判らぬでもない。
東日本地震が首都圏だったら、被害はもっと甚大・・・は、誰でも思う。
でも、この大臣は尊大で、言葉使いを知らない。ましてや二度目ともなれば・・・。
しかし、言葉尻をとらえて責め立てる、野党やマスコミも知恵がない。
もっと本質を、真剣に議論して欲しいものだ。

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2017年4月 1日 (土)

この歳でスカウトされた!

Photo先日電車内で、吊革につかまる私の手をしげしげと眺める紳士がいた。
60歳前後だろうか、中肉中背で温厚そうだが目付きが鋭い。
やがて話しかけてきた。
「失礼ですが、とてもいい指をお持ちですね。綺麗な指です」
そう言えば昔、バーで飲んでいてカウンターの女性から素敵な指ねー、なんて言われたことがある。
「稼げる指ですよ。ご年配のようですので、相当な修行は必要ですが、資本は要りません。気が向いたら、是非ご連絡ください」
と名刺をくれた。

全日本スリ協会理事長
第7代 仕立屋 銀二

写真はネットより借用。

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2017年1月20日 (金)

エッセイ 「ファーストクラス」

昨年11月の文章教室で、ファーストという課題に応じて発表した作品です。

         ***** 「ファーストクラス」 *****

Mil6
 長いサラリーマン生活で一度だけ、国際線のファーストクラスに乗ったことがある。
 古い話で成田空港が出来る前、出発は羽田空港だった。
JALの東京発モスクワ経由ロンドン行で、機体はDC-8である。出張目的は、ソビエト製の巨人ヘリコプターを買いに行く。

 当時私は、勤め先がインドネシアに設立した、現地合弁会社に赴任していた。
 現地の日系大手木材会社のM社が、奥地で切り出した大木を、ヘリコプターで搬出したいという。
いわゆるヘリコプター・ロッギングである。
 これに使うMI-6という、巨人ヘリコプターの運航を委託するので、現物調査のためM社のO社長に同行して、モスクワに行くことになった。

 ソビエト時代の渡航は非常に厳しく、日本国籍の私のビザは日本でないと発行できないとのことで、
ジャカルタから日本に出張し、ビザ取得後モスクワに向かう事になった。
 O社長はロンドンに出張中で、モスクワで合流する。
従って羽田出発は単身であった。

Jaldc8 JALのファーストクラスは豪華そのもの。搭乗するとパーサーが挨拶に来た。
食事にはスチュワーデスが着物に着替えてサービスする。もちろん料理も酒も一流品。
 でもソ連圏内に入ったら、上空からの写真は一切厳禁だという。見つかったら、シベリア送りになるかも知れない。

 当時何よりも外貨の欲しいソ連にとって、この買い物客は貴重だったのだろう。
国賓待遇に近い扱いであった。
 実機調査には最大限の便宜を図ってくれたが、何せ何かと非能率の国で手間取り、
予定は大幅に伸びて、私のインドネシア再入国ビザの期限が切れそうになった。

 やむを得ず帰路は日本に寄らず、週一便あったアエロフロートのジャカルタ行に変更した。
これもファーストクラスである。
 機種はソ連製のIL-62で、モスクワ発パキスタンのカラチ、シンガポール経由ジャカルタで、飛行時間は時差を含めて21時間40分。
私の経験では最も長い。

Il62 ソ連製ではもっとも洗練されているというIL-62だが、爆撃機に乗っているような感じだ。
空調のせいか上昇下降時には、耳がキンキンする。
 そしてその操縦の荒いのなんの。毎回ドターッと接地して、つんのめるほどのブレーキをかける。
乗客の快適なんて、全く気にしていない。

 体の大きなロシア人向けか、馬鹿でかい座席だが、食事はお粗末だった。
乗客はロシア人の老夫婦のみで、スチュワーデスは退屈して、私の隣に座りきりだった。
 話してみると、外国のことをほとんど知らない。宿泊地でも勝手に外出はできないらしい。

 現在のアエロフロートは、機材もエアバスやボーイングを使用し、
運航やサービスも西欧風に近づけようと、躍起になって努力しているらしい。
 最近ではモスクワの観光ツアーもあるようで、ソビエトからロシアになって、
あの国も変わってきたものである。                      
                                                (了)

課題-2「ファースト」本文1120字  2016.11.17

注: この体験記は「幻のヘリコプター・ロッギング」として、月刊誌「ヘリコプター・ジャパン」や日本航空機操縦士協会機関誌「パイロット」、
朝日航洋社内誌「サンバード」その他に掲載された。
 また私のブログ「ロスミナの風」2009年8月の記事で見ることが出来る。

「幻のヘリコプター・ロッギング」
http://rusmina-2.cocolog-nifty.com/blog/2009/08/post-0299.html

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2017年1月 2日 (月)

謹賀新年・・・初詣とMRJ

Mrj_31
新年おめでとうございます。
本年も変わらぬご支援を、よろしくお願い致します。

毎年2日に、近くの神社に徒歩で初詣することにしています。片道30分ほど。
両ひざの痛みがあり、今年は行けるかなと思いましたが、どうにか完歩することが出来ました。6482歩。
これは自信になります。20151030

MRJの4号機JA24MJは昨年11月19日、アメリカ・モーゼスレイクのグラントカウンティ国際空港に到着しました。
今回は南回りで、グアムーマーシャルーホノルルーサンノゼ(カリフォルニア州)経由です。
MRJの3号機JA23MJは、11月22日に名古屋空港で初飛行しました。

また全機静強度試験は、全日程を完了したそうです。
これでさらに飛行試験が加速するでしょう。

写真はネットからお借りしたMRJの3号機と書斎のシクラメンです。

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2016年12月27日 (火)

日記のようなもの・・・忘年会

その1 ヘリコプター屋の忘年会 12月3日

Hj20161011
日本唯一のヘリコプター専門誌「ヘリコプター・ジャパン」を出版している出版社・タクトワン恒例の講演会&忘年会が、都内大崎のゲートシティであった。
各社のNO-2クラスが常連だったが、世代交代で若返っている。
私は連載記事を執筆している関係で、毎年ご招待であったが今年はなぜか来賓。
旧知からVIPになりましたね、と冷やかされた。
写真はその雑誌の表紙。


その2 家族同士の忘年会 12月5日

お隣の町内に住むS氏ご夫妻との、これも恒例の忘年会。
お互いの子供たちが、小学校同級であったことから始まり、もう数十年。
忘年会に新年会、年に数回の旅行と「最愛のダンナ様に感謝と尊敬を捧げる会」と称する飲み会。
わが女房殿に言わせると「ふざけんじゃねぇ」
首脳会談で来年の旅行は、三浦半島2泊でシーサイドウオーキングに決定。
詳細は閣僚レベルに任せる。
写真は以前に行った東急今井浜リゾート。Photo


その3 文章教室の忘年会 12月24日

Photo_2
クリスマスイブで3連休の中日。
定例授業の後、池袋のパセラというチエーンのカラオケレストラン。
店内はバリムードがいっぱい。
カラオケ好きの恩師ご存命のころは、よく使った。
メンバーのF夫人提案のクイズ、メンバーのエッセイ作品タイトルを列記して、作者を当てさせるもの。
これは難問で私は半分しか出来なかったが、全問正解者もいた。メンバーM氏の手品もあり、大盛り上がり。
写真は恩師である故小松錬平氏(元朝日新聞論説委員)と、母校東大の安田講堂。幹事役のT氏(右)と私。


その4 おまけ

私は息子にこう言ってある。
「俺が死んだら坊主は要らない。ごく普通に葬式してくれたら良い。それより友人二人(S氏とT氏)から弔辞を頂けたらそれで良い。お二人からは内諾を得てある」
エンディング・ノートはすでに完成してある。
息子の奴;-
「そういうのに限って、なかなか死なないんだ」

今夜は夫婦だけの忘年会。
一寸金が入ったので、貴方の好きなところで良いよ、と言ってある。
結局いつもの寿司屋かなー。

本年の多大なご支援、誠に有難うございました。
皆様、どうぞ良いお年をお迎え下さい。

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