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2010年1月12日 (火)

0092 雲仙普賢岳 ①・・・雑誌連載第12回

月刊誌「ヘリコプター・ジャパン」に連載中の、ヘリコプター・エッセイ第12回目です。

 航空機が空中で衝突する。あってはならないことですが、現実には発生します。
 古くは岩手県雫石上空で全日空B-727と航空自衛隊のF-86戦闘機が衝突し、全日空機は墜落、大惨事になりました。
 また、管制官の指示に従って飛行する日航機同士が、管制官のミスで、あわやっ!というニアミスもありました。

 報道取材中のヘリコプターの、空中衝突事故も、残念ながらあります。
 318 私は衝突事故の根絶を願って、所属する財団法人日本航空技術協会の機関誌「航空技術」(2003.11)に、最新の空中衝突防止装置の紹介記事を書いたことがありました。
 そして近年、空中衝突記事が発生していないのは、関係者の多大な努力の成果ではないでしょうか。

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 T-CAS(Traffic Alert and Collision Avoidance System) という空中衝突防止装置が、ヘリコプターにもかなり装着されるようになりました。狭い空域で多数機が輻輳する報道取材では、威力を発揮することでしょう。
 しかし、あくまでも補助的手段であって、見張りが重要であることには、いささかも変わりはありません。旅客機では、ICAOにより空中衝突防止装置の搭載が義務付けられ、コストパフォーマンスの点から、YS-11が退役に追い込まれました。

                    
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            「雲仙普賢岳」 ① ・・・ヘリコプターの空中衝突

 信じがたいことだが、ヘリコプターの空中衝突事故は意外に多い。この広い空ではぶつける方が難しいと思うのだが、現実には起きそうもないことが起きる。

 新しくは平成13年5月、三重県桑名市付近で訓練中のN航空所属大型ヘリコプター(AS‐332L)が同じ会社の、同じく訓練中のセスナ(C‐172)と衝突し両機とも墜落、合計6名全員が死亡している。更に地上の民家2棟にも被害を与え、火災で2名が重軽傷となった。
 また、平成8年には長野県篠ノ井市で山火事の空中消火を報道取材中の、長野放送機(AS‐355F1)とテレビ信州機(AS‐350B)が空中接触し両機とも墜落、私の知人を含む5名が死亡している。

 古くは昭和59年兵庫県明石市で、銀行強盗取材中に毎日新聞機(B‐206)と大阪朝日放送機(AS‐355F)が接触して墜落、合計6名全員死亡。

 空は広いようだが、これらは限られた空域の限定された飛行で発生しているのである。訓練飛行はどこで行ってもと思われるが、現実は運輸省(現国土交通省)航空局や地方自治体を含む関係者の協議、賛同を得た空域でないと実施できない。

 これに対して不可解なのは、平成6年10月大阪府泉佐野市で発生した、朝日新聞社機(AS‐355F1)と毎日新聞社機(AS‐350B)の空中衝突である。何とこのときは生存者がいた。

 快晴の日中、関西空港の取材を終えた朝日機と関空取材に向かう毎日機は、関西空港対岸高度600mですれ違った。朝日機は墜落して3名死亡、毎日機は取材を続行し帰投している。着陸後初めて相手機の墜落を知ったという。

 これは限られた空域ではなく空輸中のことで、見張りの油断としかいい様がない。
毎日機も損傷していたが、帰投できたのは奇跡である。365n23
 これらの事故の後、報道関係の団体である日本新聞協会は抜本的な改善策を打出し、現在は報道機には視認性の高い塗装や、GPSを使った空中衝突防止警報装置などが採用されている。

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        「雲仙普賢岳」 ②・・・・・・取材する方も必死!

As350_2  Gさんは寡黙な人であった。
 読売新聞・機報部からH航空に入社され、共同通信の専用報道機(AS‐350B)を担当していた。日本のヘリコプターパイロットの草分けで、私より5,6歳年配である。
 大ベテランのGさんでも、飛行機から始めてヘリコプターに乗ったときは、100m四方をハネまわったそうだ。それほどヘリの操縦は難しい。

平成2年に大阪に単身赴任した私は、会社の弱点であった技術管理面の充実と、ヘリコプター定期便の開設という大型プロジェクトに従事すると共に、共同通信社専用報道取材機のクルーとして実務にもついていた。

 競争の激しい報道関係では、クルーはそれぞれ専属である。共同通信社の担当はGさんをチーフに私を含め6名。私はいつも物静かなGさんとは妙にウマがあっていた。
 会社は他にフジテレ系の関西テレビ、TBS系の毎日放送も受託していて、事件だ!事故だ!というと一瞬にしてハチの巣をつついたような騒ぎになる。
 もちろん盆も正月もない。

 平成2年11月、長崎県雲仙連峰の主峰普賢岳が大爆発した。 私はロッカーに置いてある家出道具(着換えと洗面道具)一式を引っつかんで、Gさんやカメラマンと共同通信機で八尾空港を飛び出した。各社とも総出動だ。
 長崎まで行ったら今日は帰れまい。

 テレビ会社機は重い中継機材を積んでいるが、共同通信はスチール写真専門なので器材がなく、機体が軽くてスピードが出る。
 しかし現場では防振装置つきズームレンズを駆使するテレビ取材と異なり、手持ちカメラで迫力のあるアップ写真を撮るためには、思いきり接近せねばならない。共同通信では早くもデジタルカメラを使っていた。

 標高1500m弱の普賢岳は激しく黒煙を上げ、見上げる黒褐色の溶岩ドームは今にも崩れ落ちそうだ。前山である眉山のすそ沿いに、狭い谷あいを上っていかないと溶岩ドームに接近できない。テレビ会社機は各社とも、はるかに高いところから旋回して撮影している。

 火山弾がぶつかったら、機体はひとたまりもない。火山ガスを吸込んだらエンジンがストップするかもしれない。
 もちろん航空局は火山情報を出して、進入禁止の危険空域を指定してはいるが、なにせ相手は大自然である。風向き次第でどうなるか判らない。危険空域とはいえ、空にロープが張ってあるわけでもないし・・・。

「安全が第一ですが・・・、もう少し近寄れませんか?」
この場合カメラマンが主役で、パイロットは脇役である。G機長もブン屋魂がよみがえったらしい。本職は整備士である私は、任務遂行が出来るように見張りをする裏方であろうか。

 ここで火山がドカンと来たらどうにも避けようがなく、まず助からない。緊張が続いてのどが乾く。
「毎日新聞、サンゴーマル、眉山東側から進入します!」
共通周波数で連絡してくる新聞社機の声も緊張している。
 この狭い空域では、相互に確認しないと空中衝突の危険がある。常に相手機を視認していないといけない。

「ちょっと代わってくれませんか?」と、機長の言葉に操縦桿を握った私は「アイ・ハブッ」と怒鳴る。「ユー・ハブッ」とGさんが怒鳴り返す。べつに怒鳴る必要はないのだが・・・。
 これはどちらが操縦しているか確認しないと危険だからだ。
共同通信取材専用機のAS350には、副操縦装置が装備されていた。

 操縦桿から手を離したGさんが取出したのは、なんと「のど飴」だった。私たちにもすすめ、これは不思議な落ち着きを与えてくれた。
 共同通信の大迫力の写真は、その後も報道関係者で話題になった。As350_3

 翌平成3年、この普賢岳の溶岩ドームが崩れ落ち、大火砕流となってふもとの深江町を襲った。死者40名を超える大惨事となったのである。
                 
                   2002.12.09

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写真-1 「航空技術」の空中衝突防止装置紹介記事
写真- 2  そのとき取材させて頂いた朝日新聞のAS365N2ヘリコプターです。
              この機体は、最新の空中衝突防止装置を装備していました。
写真 - 3  当時の共同通信機だったAS350B(JA-9241)で、株式会社タクトワン
              の提供によるものです。
写真-4 同時代に東京で活躍したA航洋のAS350Bです。

           ********* お詫びと訂正 *********

  本文中の毎日新聞機と衝突した、共同通信機は大阪朝日放送機の誤りでした。
  謹んでお詫びとともに、訂正させて頂きます。

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コメント

共同通信カメラマン 様
本件記事の掲載されている雑誌「ヘリコプター・ジャパン」2009年10月号の、
お詫びと訂正の掲載を編集部に依頼しました。

投稿: 帆走子 | 2010年2月 8日 (月) 18時37分

共同通信カメラマン 様

コメントを有難うございました。
ご指摘の通り共同通信機(AS355F)は、大阪朝日放送機の誤りです。
お詫びして早速訂正させて頂きます。
インターネットその他で、古い記録を調べて記事にしたのですが、記載したとき私のミスです。
今まで単純ミスに気が付きませんでした。貴重なご指摘、本当に有難うございました。

雲仙普賢岳の取材にご一緒でしたか。
あの当時、共同通信殿は早くもデジタルカメラを使用し、インターネットISDN回線で本社に送られてましたね。
何か他の取材のときだったと思いますが、「カラーだと時間がかかって…」と仰ってたのを思い出します。
共同通信の取材で、宮島厳島神社背後の眉山(でしたか)の山火事とヘリコプター消火を追いかけたのが、
強く印象に残っています。

この記事の写真AS-350B、JA-9241は雑誌「ヘリコプター・ジャパン」出版社である、株式会社タクトワンの
ご提供によるものですが、かつての共同通信専用機で、雲仙普賢岳噴火の取材に行ったのもこの機体です。
このときの後藤機長は故人となられました。

投稿: 帆走子 | 2010年2月 8日 (月) 18時02分

●●古くは昭和59年兵庫県明石市で、銀行強盗取材中に毎日新聞機(B‐206)と共同通信機(AS‐355F)が接触して墜落、合計6名全員死亡。●●

これは、毎日新聞機と大阪朝日放送機の空中衝突の間違いだと思われます。

雲仙普賢岳②のカメラマンは、もしかして私のことかな?

投稿: 共同通信カメラマン | 2010年2月 8日 (月) 16時45分

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