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2009年9月22日 (火)

0085 S氏の場合・・・雑誌連載第8回

朝日航洋時代に運航管理担当者として一緒に働いた、ある切れ者の生涯です。
 JAL御巣鷹山事故があったころで、朝日航洋本社は池袋のサンシャイン60の32階に
ありました。
 バブル景気の真っ最中で、日本中がうなりを上げて突っ走っていた頃です。

 ユーモアのある文章というのは、割合書きやすいものですが、ペーソスというのは難しいものです。人生の哀歓のようなものを、感じ取って頂けますでしょうか。
 雑誌の連載記事は1回分(B-5判2ページ)ですが、読み易くするため2回に分けます。
 なお、写真は全てイメージで、本文とは関係ありません。

     ****************************************

 As350 バブル景気真っ最中の平成2年春、大阪で花をテーマに万国博覧会が開かれた。
いわゆる花博である。
 第一不動産グループはメインゲートを入ってすぐ右側の一等地に、豪華なパビリオン
を開設していた。その1年半ほど前、この第一不動産㈱がヘリコプター事業に乗り出し、新会社を設立して、既存の各社から熟練の技術者を高給でかき集めた。
 
 ヘリコプターが企業の節税の対象とされ、我も我もとヘリコプターを、ステイタスとして
保有していたころである。政府も、当時世界中から怨嗟の的となっている貿易黒字
減らしのため、輸入ヘリを税制面で優遇していた。
 しかし、便利ではあるが扱いにくいヘリコプターを、自家用機として活用している企業はまだ少ない。

 S氏はベテランの運航管理担当者として私と一緒に、池袋のサンシャイン60にある
朝日航洋本社で勤務していた。確か私より1、2歳若かったと思う。
 途中採用で日大卒と聞いていたが、詳しい前歴は知らない。英会話が達者で雑学豊富、坊主のアルバイトをしたこともあるという。
 彼のちょっとエッチなお経漫談?は宴会ではおおいに受けた。

 しかし、会話は巧いが英文書の作成などはまるでダメなところを見ると、米軍関係で働いていたのかもしれない。国家資格を有する技術者ではなかった。
 有能な切れ者で、短気な割には官庁関係の折衝は巧かった。一応私が上司であったが、部下としては頼りにはなるが気分屋のところがあり、まことに扱いにくい。しかし妙にウマが合って、仕事帰りによく一緒に池袋で飲んだ。

 運航管理という仕事は、営業と運航の間を調整する役目である。
会社の中枢といえば聞こえは良いが機体と人間の手配師で、ていの良い雑用係だ。
全国すべての業務終了を見届けて、事務所の鍵をかけ地下の守衛所から退社する
のは、ほとんど毎日私かSであった。
 日航機御巣鷹山事故のときは、会社に何回泊り込んだかわからない。

 このSが、第一不動産の創立した第一ヘリコプター㈱に引き抜かれた。
運航部長だという。他にも何人かの操縦士や整備士などの技術者が、朝日航洋から
移っていった。その後Sに会っとき、彼は得意げに給与明細を見せてくれたものである。

 順調に見えた新会社であったが、バブルがはじけると凋落は早かった。
親会社の第一不動産も、ヘリコプター事業からさっさと手を引き、会社は解散した。
景気の急激な後退で不動産業もピンチとなり、ヘリ事業どころではなくなったのだろう。

 Sはどう立ち回ったのか、朝日航洋出身の何人かと、トヨタ自動車グループの
㈱ジャパン・フライング・サービスに入社していた。ここは主に小型飛行機を運航する
事業会社で、ヘリコプター部門を最近になって併設している。

                  (つづく)

阪神淡路大震災のとき、彼は第一ヘリコプターの社有機AS-350を八尾空港に
持ってきて、私の勤務先の下請けでよいから使ってくれ、と頼まれました。
 会社の内情はやはり大変だったのでしょう。
 当該機の事業機申請を始め、法的手続きが間に合いませんので、結局使いません
でしたが、ヘリコプターが奪い合いの状態でしたから、結構仕事はあったようです。

    ************************************

 トヨタ自動車は、各事業所間の社内定期便として、乗客定員12名のAs365n
中型ヘリコプターSA-365N1を3機保有し、運航をフライング・サービスに委託していた。
 しかし、その他のヘリ事業では企業自家用機の運航受託が多く、バブル景気破綻で委託運航料どころか、格納庫料すら滞納することが多くなったらしい。ヘリ部門ではトヨタの自家用機が頼みの綱だった。

 そのトヨタ社内定期便が事故を起こした。平成9年1月、愛知県岡崎市で
悪天候のため視界を失い、山腹に激突して乗員乗客8名全員が死亡したのである。
ヘリコプター運航部長であるSの立場は、かなりきわどくなったが会社には残れた。

 私の在阪中にも時々訪ねて来ては、相談とも雑談ともつかぬ話をしていった。
たまには道頓堀あたりで飲んだが「酒はあまり強くないが鼻っ柱は強く、一緒に飲むと
面白い奴」だった彼の酒量が上がり、愚痴っぽくなったのに驚いたものである。

 トヨタ自動車はその後、ヘリ社内便はやはり必要との結論で、運航体制を充実させる
ことになった。そのため、なんと日本最大のヘリ会社・朝日航洋を、西武グループから
買収したのである。そして、フライング・サービスを吸収合併させた。
 フライングの社員は全員朝日航洋に引き継がれたが、心ならずも古巣に戻った形の
Sの存在は、ますます微妙になっていった。

 平成13年春、Sは4ヶ月の闘病生活の後、肝硬変で亡くなった。
朝日航洋を定年退職して、わずか1年後の事である。
 同僚の話によるとアルコール依存症で、末期には勤務中でも昼休みに
外で飲んできたようだ。そんな状態で、家庭では奥さんとも巧く行っていなかったらしい。
 彼は埼玉県狭山市在住で、葬儀は桜が満開の狭山湖畔の古刹で行われた。

 S・Y氏・・・享年61歳。余りにも早過ぎる、燃え尽きた死であった。
 定年後しばらくして「○○にコネがある、また一緒にやろうや」と誘われたことが
あったが、あれは鼻っ柱の強い彼の、最後の突っ張りだったのだろうか。

 余談であるが、大企業の社内定期便で、宮崎・延岡間を運航していた旭化成は、
平成2年に発生した死亡事故の後に、ヘリコプター定期便は廃止している。
 この事故では在阪中の私も関係していて、監督官庁やマスコミに叩かれ、
いわゆる針のむしろに座る体験をした。

                      (おわり)
              
                                       (2003.10.05)

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