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2009年6月

2009年6月30日 (火)

0076 青魚のご三家

ブリ、カンパチ、ヒラマサを青魚の御三家というそうです。
背中の青い大型の食用魚だからでしょうか。

この中でも最上位に位置するのが平政。味、価格とも最高で今が旬です。
磯釣りをする人には、憧れの獲物でしょう。
ほとんどが天然ものだそうですが、近年養殖も少ないながら試みられているようです。
この冬長崎に旅行したら、土地ではひらすと呼んでいました。

勘八は、料亭向け高級魚だったのが、養殖のお陰ですっかりおなじみになりました。
ずんぐりしたブリやヒラマサに比べて、扁平なので見た目でも区別が付きます。

さて、鰤ですが寒ブリというくらいで、冬が旬です。Photo
ブリを題材にしたエッセイがありました。

参考文献と写真出典は以下の通りです。
(1)地魚大全  野村祐三 東京書籍(ブリ)
(2)スーパーで買える魚図鑑 日本文芸社(ヒラマサ、カンパチ)

              写真は上から御三家の順番です。

                ********************
                    「鰤」
                 ***************

 最近でこそ、小料理屋や居酒屋でもメニューにあるようだが、かつてはぶりカマの塩焼きなぞは、お店で出すものではなかった。
家庭料理で、スーパーではアラとして、一山いくらの扱いだった。カマとは首のすぐ後ろ、エラぶたのふちである。

 料理というほどのものではなく、洗って余分な部分を切り去り、塩をふって焼くだけ。
これがすこぶる旨い。真鯛のあら炊きとともに、私の得意メニューだ。
ただし半分は骨で食べられない。魚好きの我が家は、塩鮭でも頭から先に売れる。
 肉でも魚でも、骨のそばは旨い、という。肉料理でもスペアリブなどがいい例だ。

 鰤は日本中で取れるが、寒ブリというように寒い季節が美味しい。
出世魚といって、大きくなるにつれて名前が変わる。
昔から縁起のよい魚とされ、お祝い事によく使われる。
 関東ではワカシ、イナダ、ワラサ、ブリとなり、関西ではツバス、ハマチ、メジロ、ブリと呼ぶ。大きいものは1mを超えるが、90cmを超えるとブリになるらしい。
 お刺身はもとより、煮ても焼いても旨い魚で、アラと大根を炊きこんだ、ぶり大根などという家庭料理の傑作もある。
 また、富山地方には巻きブリという逸品がある。
これは塩漬けにしたブリの切り身をわらで巻いて保存食品としたもので、高価だがお土産に最適だ。そのままスライスして食べるが、魚のチーズのようで、酒の肴にはぴったりだ。

 水族館キチガイの私だが、泳いでいる鰤と平政は、いまだに区別できない。Photo_2
勘八はいくらか平たいので、どうにか見分けられるが、お刺身にしたらまず判らない。
どれもアジ科の大型魚である。どうしてなのか、このうち平政だけは養殖ができない。
 今年何度目かの忘年会が都内であり、上司とともに出席した。出版社の主催で、ヘリコプター業界の集まりであったが、会場で大きな2匹の鰤が目を引いた。
今朝富山の氷見漁港に揚がったものだという。
寄贈者の紹介があって、すぐに姿作りで供された。
 最近は魚もブランド化で、関サバや城下カレイが有名だが、ブリはこの氷見産が特に旨Photo_3 いとされている。
脂の乗ったぶりのお刺身は、会場の口の奢った参加者をうならせた。

 よく「角が立つ」といって、あまりよいイメージではないが、角が立たっていなければならないものがある。
和食の代表お刺身で、引き立てでないといけない。プロは刺身を引くという。
 味が変わるわけではないが、時間がたって、てれんとした刺身は、見た目に不味そうだ。
 新鮮で切りたての氷見の寒ぶりは、海の恵みを改めて感じる美味しさであった。
                                        (了)
             (2006.12.24)

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2009年6月26日 (金)

ブブールアヤム(鶏のおかゆ)を作りました

鶏の絵の付いた写真が、鶏おかゆの素です。
先回の旅行でジョグジャカルタの大型スーパーで買いました。
ワンパック4袋入りでRP12,500;-(¥120;-)221_2
これが案外いけました。クリーンヒットです。

ブブール(おかゆ)はインドネシアの朝食に良く食べられますが、
これは鶏がらスープ味です。
結構塩味も効いており、1袋で3-4人分作れます。
にわか独身の私には、手間がかからず美味しくてピッタリ。
もっと買ってくれば良かった。
冷や飯に水を加えて火にかけ、煮立ったらカタマリを良くほぐし、
このお粥の素を入れてごく弱火にします。蓋はしません。
塩鮭と漬物、美味しい佃煮と生野菜サラダでもあれば最高。

もう一つの写真は、同じところで買ったナシゴレン(インドネシア焼き飯)の素です。
味の素インドネシアの製品で、一つが3-4人前出来、RP20,000;-くらい。
鶏肉、たまねぎ、人参、エリンギなどを細かく切って炒め、冷や飯を入れて、
このチャーハンの素をふりかけ、良く炒めて混ぜます。
222_2 一応それらしくなりますが、ちょっとピリ辛で、お上品というか、おとなしい味です。
現地のやし油の強烈な臭いが無いと、何か物足りません。
以前にもお土産で頂いて、作った事があります。

http://smcb.jp/_bt01?topic_id=201183

それにしても、何が良くてこんなにインドネシアにはまってるんでしょうネェ。

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2009年6月23日 (火)

新刊書のご紹介

   「ドクターヘリ “飛ぶ救命救急室”」

                           西川 渉   著
                           時事通信社    ¥1600;-

219_2 ヘリコプターが有用なのはいまや常識ですが、救急救命の現場で活躍しているのは、案外知られていません。

事故や怪我、重症の急病などでは、すぐ思いつくのが救急車ですが、深刻な医師不足の状況は、救急医療の最前線に、真っ先にしわ寄せが来ています。
受け入れ病院がなくて、救急車が事故現場から動けなかった、などという話を聞きます。
著者は「ドクターヘリは救急車と競合するものではなく、相互に補完して救命効果を挙げるものだ」と言っています。

ヘリコプターを活用すると、医療機関の選択肢が、飛躍的に増大します。
ドクターやナースが事故現場に出向き、初期治療をすることで、救命効果が大幅に上がるだけでなく、予後の社会復帰にも貢献しています。

本書は政府の法的な裏づけを得て、今ようやく本格的に整備される事になった、220_4
ドクターヘリとそのシステムについて、大変判りやすく解説した好著です。
特に第7章の、ドクターヘリに救われた命、の体験記は感動的でさえあります。
2009.06.09朝日新聞朝刊に、本書の紹介記事がありました。
なお、ドクターヘリMD-902飛行中の写真は、朝日航洋カレンダーより拝借しました。

Md90 著者は現在、救急ヘリ病院ネットワーク理事、日本航空医療学会監事など
沢山の肩書きがありますが、もともとはヘリコプターのプロ。
元朝日航洋㈱代表取締役専務、つまり私の上司でありました。

ドクターヘリと消防防災ヘリについてのリポートが、私のブログにあります。この中のドクターヘリのエッセイは2002年5月に書かれたものです。

http://rusmina-2.cocolog-nifty.com/blog/2009/02/0055-3-0f14.html#more

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2009年6月20日 (土)

0075 ブラックタイガー

日本人はエビが好きですね。
 スーパーなどでよく見かける、ブラックタイガーという中型のエビは、東南アジアで多く養殖されています。
 インドネシア産車えびなどと名づけられていましたが、全く異なる種類のエビだそうです。この養殖技術を開発したのは、ある日本人だそうですが、さぞご苦労されたことでしょう。
 写真は日本の車えびで、イラストは葛西臨海水族園の絵はがきから拝借しました。

      ***************************
        「ブラックタイガー」
       ***************************

 Photo 日本人はエビが好きですねぇ。私らエビの養殖業者にとっては、日本は一番のお客様ですよ。私らがこうして育てたエビは、ほとんど全部が日本行きです。でも日本の注文は規格が細かくて厳しいんですよ。

 ここでは主にブラックタイガーという黒いエビを養殖しています。私らはウダン・ヒタムと呼んでいますが、ウダンはエビ、ヒタムは黒の意味です。
 英語では、シュリンプ、プロウン、ロブスターと大きさでよび方がちがうようですが、私らインドネシア人はエビは全部ウダンで、ロブスターはウダン・ブサール(大きいエビ)、シュリンプはウダン・クチール(小さいエビ)と呼びます。ブラックタイガーは、中くらいですからプロウンですか。

 エビのおかげで、私らの暮らしもずいぶん楽になりました。なにしろ一年中とれて現金収入があるのが魅力です。海岸の湿地帯で農業も何も出来ないところで、金のなる木が育ったのですからありがたいことです。
 湿地帯を掘って浅い池をつくり、海水を引き込んでおけば勝手にエビが涌いて育つんです。難しいことはわかりませんが、なんでもワタナベさんという日本人が大変な苦労をして、エビの養殖技術を作り上げたそうです。
 私らにしたら、大統領表彰をさし上げたいくらいです。

 インドネシアだけではなくて、いまではタイやマレーシアなど、東南アジア全体でエビの養殖は行われているでしょう。
でも、このごろは海がやせたんでしょうか、エビの育ち方がえらく遅くなりました。
それと過当競争というのか、ひところほどには高く売れません。

 私のところでは、ウダン・プティ(白いエビ)も養殖していますが、これは勝手に涌いてはきません。えらく手間ひまがかかるんです。当然高く売れますが、気難しいやつで、ある日突然全部死んだりして目が離せません。中華料理用によく売れます。
 どちらが美味しいかといわれても、私らは作っていても食べたことがないのでわかりませんな。

 それにしても日本人はどうして、あんなにエビの大きさにこだわるんでしょうかね。Photo_2
相手が勝手に育ったエビですから、同じ大きさにそろえろというほうが無理な注文でしょう。
 生きて跳ね回るエビを、同じ大きさにより分けるのは大変な手間なんです。冷凍にするものはまだしも、生きたまま出荷するものはヒゲが取れてもいけないんです。いくら日本人でもヒゲは食べないでしょう。

 日本人は立派です。優秀で勤勉で誇り高く、インドネシアのためにとても尽くしてくれました。本当に尊敬しています。
 でも頑固で気難しいですなー。
                                               (了)
 
    課題-2「日本人は馬鹿ですか、弱虫ですか」     (2001.02.20)

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2009年6月15日 (月)

0074 「鎮魂、大峰山」・・・・・雑誌連載第5回

このエッセイは、月刊雑誌「ヘリコプター・ジャパン」2009年3月号に掲載されたものです。
同誌編集部のご了解を得てあります。

ヘリコプター定期便は、以前から各地で試みられてまいりました。
 古くは伊豆の伊東と東京を結んで、ボーイング・バートルKV-107が運航されていたことがあり、つくば科学万博では東京や横浜から、ベル412が会場を結びました。

 このエッセイの本文にもありますが、1990年代当初はバブル経済の真っ只中で、日本中のあらゆる産業が、空前の好景気に沸きかえっていたものです。株は買いさえすれば上がるもの、給料は毎年アップするもの、と誰もが信じて疑いませんでした。今思えば夢のような話です。

 その好景気の最中、関西では本編にある神戸-兵庫県豊岡市-湯村温泉の他、大阪-京都-京都府宮津市、大阪-和歌山-南紀白浜-和歌山県新宮市、などの路線がありました。使用機種はエアロスパシアルSA-365N(又はN1)です。
 いずれにしても各自治体の支援がないと、運航会社単独では採算面でなかなか難しいようです。
   (写真は同型機ですが、本文と関係ありません)

       *********************
       「鎮魂、大峰山」①
        *********************

 As365n 墓標がある。8名の男女の名前が刻まれている。ここに置かれて10余年、きれいに手入れはされているが、訪れる人は少ない。
 日本海を望む兵庫県北部、標高870mの大峰山の山頂に近い西南の斜面に、旅客輸送の中型ヘリコプターが墜落し、乗員乗客全員が死亡したのは、平成3年8月5日17時01分のことであった。墓標はその慰霊碑である。

 機長のYは海上自衛隊出身の32歳。飛行時間は2,815時間で、この若さでこの機種の機長をしているのは優秀といって良い。しかし初対面の印象は、操縦は確かに巧いが一寸生意気な感じだった。副操縦士のFは同じく海上自衛隊の出身で28歳、機長の後輩だそうである。入社してまだ数ヶ月、この機種の資格はまだ取得していなかった。
 余談であるが事故後この副操縦士が、この機種の資格を有していないことがマスコミに取り上げられ、“無免許操縦“とたたかれた。その後は副操縦士の呼称をやめ、操縦補助員?などという航空従事者の定義に無い呼び方がされている。

「県内すべての地域を日帰り可能に」をキャッチコピーとして、兵庫県が県北部の但馬地方にヘリコプター定期路線の開設を企画したのは、バブル景気絶頂期の平成元年ごろで、日本中がうなりをあげて突っ走っているころであった。

「夢千代日記」で知られる湯村温泉は県北部にあり、城崎や有馬と並んで兵庫県の代表的な温泉地である。しかし道路、鉄道共に不便で客足が伸びなかった。兵庫県はここと神戸を、ヘリコプターの定期便で結ぼうとしたのである。私の勤め先は兵庫県の委託を受け、1年間の試験運航期間を経てまずまずの成績を上げた。そして兵庫県と神戸市は、この4月から本格運航に踏切った矢先の事故であった。

 あの日、あの時刻、あの地域の天候は、運航の安全に支障をきたすほど悪くはなかった。大峰山の山頂付近は雲に覆われていたが、局地的で迂回できないほどではない。湯村温泉へリポートを16時56分に離陸した神戸行きの夕方便は、乗客6名を乗せ神戸到着予定は17時36分であった。機体はフランス製のSA-365Nドーファン2という、最大定員13名の新鋭機である。自動操縦装置を始め、旅客輸送に必要な装備は完備していた。

 通常よりはるかに低空を、そして通常のコースより西側にそれて通過していったこの便は、離陸後5分で消息を絶った。捜索隊によって、墜落炎上しているのが発見されたのは翌早朝のことである。
                     (続く)

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2009年6月13日 (土)

0073 京都のはも祭り

久方ぶりに、お魚ネタです。
随筆やエッセイは、言葉の芸術と言われますが、限られた字数の中で目に見えるような最高の表現を求めて、
一字一句、テニオハや句読点もおろそかにしません。

 原作は縦書きですが、ブログ版は横書き表記にしました。
例えば二メートルを2mに改めましたが、やはり原文のしっとりした味わいは無理なようです。
 はもの写真は「大人の休日」会報6月号から、拝借しました。Photo
 同誌には野村祐三氏の解説で、徳島県阿南市の「はも」
が紹介されています。

     ***********************
         「鱧」
      ******************

 はもという魚は、関東ではなじみが薄いが、関西では夏を迎える食材として珍重されている。
 とくに京都では、はもを食べて祇園祭を迎えないと夏が始まらない。
祇園祭を別名「鱧祭り」と呼ぶのも、はもの旬にかけて京都人の思いが込められている。

 うなぎやアナゴに似てうろこが無く、ぬらりと長い魚で大きいものは2mにも達する。
紀州以西で、水深50mくらいまでの暖かい海の岩礁にすみ、雑食性で生命力が強い。
見かけによらず敏捷で小魚やエビ、カニ、イカやタコなど何でも食べる。

 延縄で釣るか底引き網で獲るが、漁獲量は少なく漁期が短いため高価で、漁師は獲るとすぐ首の後ろを切って生き締めにする。これは鮮度を保つことでもあるが、鋭い歯で手をかまれないためだ。愛嬌のあるアナゴに比べ、見るからに獰猛な顔つきをしている。

 体中に硬い小骨があり、刺身には向かない。骨切りといって、開いたものに1cm当たり10回という名人芸で、皮一枚を残して包丁を入れるのは、プロの料理人しかできないことだ。
 京都の台所である錦市場では季節になると、骨切りしたものや照り焼きにしたものが売られている。すしや椀だね、酢の物、焼き物やなべ物(夏なのに!)と、料理法はたくさんあるが、何といっても私は「はもの落とし」が最高だと思う。

 Photo_2 骨切りしたはもを一口大に切り、薄く片栗粉をまぶして沸騰した熱湯に落とす。3秒で引き上げ、すぐに氷水で締める。よく冷えたものを、薄いだしや梅肉でいただく。ふわっと開いた純白の花のような身は、淡白にして繊細、いかにも京都人好みの上品な味だ。

 古都京都は何かにつけて演出が巧い。夏の京都は猛烈に暑いが、鴨川の河原に張り出した床は夏の風物詩だ。私は京都に親しい知人がいて、在阪中よく京都を訪れた。京都人は梅雨が明け、はもが出回り始めると恋人に会うように目を輝かす。
 京都で生まれ育った彼女も例外ではない。

 ある7月末の土曜日、「鴨川の床で、はもを賞味しよう」という事になった。
琴と日本舞踊のお師匠さんである彼女は、いつもはヘルメットとミニスカートで、
スクータ―で京の街を駆け回っているのだが、この夜はきりっとした着物姿で現れた。
藍地にあやめを散らした着物と浅黄の帯で、さすがに決まっている。Photo_4
白足袋がまぶしい。
 あまりお酒の強くない彼女は、小さなグラスの吟醸酒でポーッとほほを染めている。
 おぼろ月夜の夏の宵、鴨川の夜風に涼み、佳人と共にいただいた「はもの落とし」は、忘れられない「夏の一品」であった。
                         (了) 

  課題―1「夏の一品」  (1080字)  2003.06.22

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2009年6月 9日 (火)

0072 空気が読めない

若い人たちの間ではKYというのだそうです。
「空気」と「読めない」の頭文字ですか。

 先週金曜日、私の所属する航空関係の団体の総会とパーティが、都心のホテルでありました。
 沢山の旧知にあって旧交を暖めましたが、あるKYさんもお見えで、その場の空気に無頓着なところは、少しも変わりません。KYさんのお陰で、以前ある賞を頂いたエッセイを思い出しました。
(写真は家族旅行のときのもので、本文とは関係ありません)

       **************************
        「気が利かない」
        *********************

 立食パーティはどうも苦手だ。とかく食べるのが遅い私は、よく食べ損なう。
 ある業界団体の忘年会が都内のホテルであり、上司とともに出席した。新顔の役員を紹介するのが私の役目だから、ただでさえ食べてばかりもいられない。

 会長の挨拶は短く洒脱で笑わせたが、乾杯の音頭が悪かった。グラスを持たせたまま、面白くも無い話を長々と続ける。
 そんな駄弁より、正面テーブルの豪華な船盛が気になって仕方がなかった。大きな寒ブリ、見事な真鯛、伊勢エビなどなど。早くしないと刺身がフヤケちゃう。

 やっと乾杯が終わり「さぁ食べよう」となったときだった。
「よう、しばらく。元気かい?」
「ご無沙汰しております。お元気そうで何よりです」
 悪いときに悪い人にあった。引退した大先輩で、悪い人ではないのだが無類の話し好き。それに現役時代から、周囲の状況には一切頓着しない性格だ。話し相手が欲しいらしい。

 上司を紹介して押し付けようとしたが、初対面では話しが合わず、なかなか私を放してくれない。ボーイから水割りなどを取ってやったのが、かえって悪かった。Photo
 やっと開放されたときは、伊勢エビはすでに頭と尻尾だけ。

 乾杯の音頭取りといい、この大先輩といい、いわゆるその場の空気の読めない人だ。乾杯の音頭や閉会の手締めなどは、慣れの問題で私も多少経験して覚えがある。
 周囲に気配りのできない人は、救いようがない。いくら年を経ても、結局はご本人の性格の問題であろうか。
 それにしても食い物の恨みは怖いぞー。
                                             (了)
                                     2007.11.12

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2009年6月 4日 (木)

オニのいぬ間の大失敗

女房殿が母親の介護で、宮城県の実家に帰っています。
日曜日なのを良いことに、昼酒をたくらみました。

電気ポットに、手元にあった日本酒のパック(180ml)を放りこみ、2
すぐ取り出すつもりで昼食のキツネうどんの準備。
ポットが勝手に電源を入れてグラグラ。
酒パックはポットの中でパンク、酒臭い蒸気が台所を充満。
お湯を全部捨てて、新しい水にしたけどまだ臭い。

このポット、この前は冷凍おにぎりを茹でて、パンクさせたっけ。
くれぐれも、酒パックのお燗をポットでするときは、電源スイッチはお切り下さい。
オニめが知ったら、怒るだろうなー。

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2009年6月 2日 (火)

0071 ジャカルタのカラオケ

マイ センチメンタル ジャーニー リポート④  「ジャカルタで美女と再会」に関連して、
ジャカルタのカラオケスナック「慈恵」を紹介したエッセイがありました。
  (ジャカルタ・モナスの写真はウィキペディアより借用しました。許可確認済)
               *******************

私のカラオケは、ジャカルタで修行しました。
日本人向けにいくつかあるナイトクラブ・・・レストランでもスナックでも、ホステスのいる店は皆、ナイトクラブと呼んでいますが、その内のひとつに慈恵というお店がありました。
1980年代にジャカルタ駐在の殿方には、懐かしい方も多いのでは。Photo_3

ジャカルタ・カラオケ事情を題材にした、最近のエッセイがありますので、ご紹介しましょう。原作は縦書きですので、表記はあえて縦書き表記のままにします。
この慈恵は日本のガイドブックにも、紹介されておりました。

             ***********************
             「ジャカルタのカラオケ」
              **********************

 控えめの看板に「ジャパニーズ・レストラン&バー慈恵」とある。
ジャカルタ市南部、高級住宅街の中心にある繁華街ブロックMには、大型ショッピングセンターやバスターミナル、ホテルやテーラー、レストランや日本料理店などがあり、これにジャカルタ名物屋台市場が加わって、一日中ごった返している。

 その一角、ビルの二階にあるこのお店は、八〇年台のジャカルタ在住日本人には、かなり懐かしいものだろう。
 それほど大きな店ではないが、当時のジャカルタでは珍しい、レーザーカラオケを備えていた。インドネシア人ホステスも、常時十人位いたと思う。リアさんという、日本語の上手なちぃママがしっかりもので、良くまとめていた。
 店内は、カウンターできつねうどんなどの簡単な食事も取れるし、ボックス席でホステスとカラオケを楽しむことも出来る。日本の大型スナックと思えばよい。私のカラオケは、ここで修行した。

 オーナーママは幸子さんという、中年で姉御肌の日本女性で、単身赴任していた私も、ずいぶんお世話になった。色々なところに顔が広く、借家探しから女中の世話まで、商売っ気抜きで面倒を見てくれた。店名の慈恵は、インドネシア人医師のご主人が卒業した、東京の慈恵医大から取ったそうだ。お店を開いたいきさつは知らない。Photo_5

 余談だが、ジャカルタ生活が快適に送れるか否かは、質の良い女中が得られるかどうかにかかっている。日本人は、家で女中を使うことに慣れていない。優しくし過ぎて、かえって仇になることもある。私は幸子ママのお陰で、良い女中に恵まれ感謝していた。

 そのカラオケは、ホステスがデュエットのお相手をしてくれるのだが、これが実に上手い。手帳に日本の歌詞をローマ字で書いて、一寸たどたどしいが音感が良いのか、結構サマになっている。「今日はギンコイこれで三度目よ」なんておっしゃる。
 ジャカルタのナイトクラブでは、カラオケとは言うものの、生オケが多い。カラオケ設備より生バンドの方が安いし、司会も日本語を話せるプロを雇って、客の好みにも合わせてくれる。しかし慈恵では断固としてカラオケで通していた。

 Monas 後年、女房殿とジャカルタを訪れ、かつての同僚に大歓迎されたが、慈恵も訪れた。幸子ママも、ちいママもとても喜んでくれた。我が女房殿も名前が幸子だが、胸張って連れて行ったのは、何も疚しいところが無いからだ。
 慈恵のホステスにも日本人客にも、厳然とした掟がある。
 つまり、浮気厳禁。             
                                      (了)
   課題 「歌ものがたり」 (1080字)    2008.10.05

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