0074 「鎮魂、大峰山」・・・・・雑誌連載第5回
このエッセイは、月刊雑誌「ヘリコプター・ジャパン」2009年3月号に掲載されたものです。
同誌編集部のご了解を得てあります。
ヘリコプター定期便は、以前から各地で試みられてまいりました。
古くは伊豆の伊東と東京を結んで、ボーイング・バートルKV-107が運航されていたことがあり、つくば科学万博では東京や横浜から、ベル412が会場を結びました。
このエッセイの本文にもありますが、1990年代当初はバブル経済の真っ只中で、日本中のあらゆる産業が、空前の好景気に沸きかえっていたものです。株は買いさえすれば上がるもの、給料は毎年アップするもの、と誰もが信じて疑いませんでした。今思えば夢のような話です。
その好景気の最中、関西では本編にある神戸-兵庫県豊岡市-湯村温泉の他、大阪-京都-京都府宮津市、大阪-和歌山-南紀白浜-和歌山県新宮市、などの路線がありました。使用機種はエアロスパシアルSA-365N(又はN1)です。
いずれにしても各自治体の支援がないと、運航会社単独では採算面でなかなか難しいようです。
(写真は同型機ですが、本文と関係ありません)
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「鎮魂、大峰山」①
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墓標がある。8名の男女の名前が刻まれている。ここに置かれて10余年、きれいに手入れはされているが、訪れる人は少ない。
日本海を望む兵庫県北部、標高870mの大峰山の山頂に近い西南の斜面に、旅客輸送の中型ヘリコプターが墜落し、乗員乗客全員が死亡したのは、平成3年8月5日17時01分のことであった。墓標はその慰霊碑である。
機長のYは海上自衛隊出身の32歳。飛行時間は2,815時間で、この若さでこの機種の機長をしているのは優秀といって良い。しかし初対面の印象は、操縦は確かに巧いが一寸生意気な感じだった。副操縦士のFは同じく海上自衛隊の出身で28歳、機長の後輩だそうである。入社してまだ数ヶ月、この機種の資格はまだ取得していなかった。
余談であるが事故後この副操縦士が、この機種の資格を有していないことがマスコミに取り上げられ、“無免許操縦“とたたかれた。その後は副操縦士の呼称をやめ、操縦補助員?などという航空従事者の定義に無い呼び方がされている。
「県内すべての地域を日帰り可能に」をキャッチコピーとして、兵庫県が県北部の但馬地方にヘリコプター定期路線の開設を企画したのは、バブル景気絶頂期の平成元年ごろで、日本中がうなりをあげて突っ走っているころであった。
「夢千代日記」で知られる湯村温泉は県北部にあり、城崎や有馬と並んで兵庫県の代表的な温泉地である。しかし道路、鉄道共に不便で客足が伸びなかった。兵庫県はここと神戸を、ヘリコプターの定期便で結ぼうとしたのである。私の勤め先は兵庫県の委託を受け、1年間の試験運航期間を経てまずまずの成績を上げた。そして兵庫県と神戸市は、この4月から本格運航に踏切った矢先の事故であった。
あの日、あの時刻、あの地域の天候は、運航の安全に支障をきたすほど悪くはなかった。大峰山の山頂付近は雲に覆われていたが、局地的で迂回できないほどではない。湯村温泉へリポートを16時56分に離陸した神戸行きの夕方便は、乗客6名を乗せ神戸到着予定は17時36分であった。機体はフランス製のSA-365Nドーファン2という、最大定員13名の新鋭機である。自動操縦装置を始め、旅客輸送に必要な装備は完備していた。
通常よりはるかに低空を、そして通常のコースより西側にそれて通過していったこの便は、離陸後5分で消息を絶った。捜索隊によって、墜落炎上しているのが発見されたのは翌早朝のことである。
(続く)
現在東京伊豆諸島にはヘリコプター定期便があって、島民の貴重な足となっています。開設以来無事故で、少し前に搭乗20万人を達成しました。
こうしたヘリ路線が確立するまでには、幾多の先人のご苦労がありました。本編はその記録の一部です。
(写真は同型機ですが、本文とは関係ありません)
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「鎮魂、大峰山」②
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飛行高度がもう5m高かったら、山の稜線は越えられたであろう。雲中から突然現れた山の斜面を避けようと、必死で左旋回して回避しようとした跡が歴然としている。機体は完全にバラバラになって炎上し、残っているのは遺体と2基のエンジンくらいであったという。ほとんど時速250㎞の巡航速度のままで、山肌に激突したのであろう。焼け残った湯村温泉のお土産が、痛ましかった。
なぜいつもより低い高度で上昇したのだろう。なぜいつもより西に外れて飛んだのだろう。なぜ山頂付近の雲を避けなかったのだろう。通常コースは私たちが現地調査し、地元と折衝したりして「これが一番安全である」というルートを苦労して設定したもので、このルートマニュアル通りに飛ぶことが定められている。
社内調査も運輸省(当時)航空事故調査委員会の調査も、そして警察の業務上過失致死の捜査といえども、この「なぜ?」についてはついに解明することは出来なかった。
私は以前社内飛行で機長のYと、この365Nで一緒に乗務したことがある。大阪・八尾空港へアプローチ中に着陸前点検を行った。
「パーキング・ブレーキ・・・OFF」とチェックリストを読み上げる私に「OFF」と言いながらブレーキレバーに手を触れたYは、実際はオフにしていなかった。「オフになってないよ」という私に「わかってます」と答える彼の声は、心なしか不機嫌そうだった。
組織上は私が上司だが、乗務中は彼が機長である。それ以上はいえなかった。
日本で数少ない小型機専用空港である八尾は、アマチュアの自家用機が多い。管制官の指示を聞き間違えたのか、急速に接近してくる小型飛行機に気を取られて、私は彼にブレーキを解除させるのを失念した。
滑走路端までにピンと糸を張ったような彼の着陸は、実に見事なものであった。ヘリコプターの着陸は、通常滑走路上1mで静止し、それから静かに接地する。彼がそのまま滑走着陸するとは思いもしなかった。
滑走着陸した機体は、ブレーキがかかっているため大きく前につんのめり、危うく転覆しそうになった。幸い大事には至らなかったが、タイヤは丸坊主になった。彼がなぜブレーキをオンのまま、必要もないのに滑走着陸したのか、未だにわからない。本人は「ついうっかり」といっているが・・・。
私は運航部長に一切を告げて、このインシデント(事故に直結するような出来事)を未然に防止できなかった私を含め、処罰を上申した。社内賞罰委員会の決定は、運航担当役員の厳重注意であった。
平成4年2月7日、運輸省航空事故調査委員会の報告書(92-1)が運輸大臣に提出された。
原因
本事故は当該機が離陸後上昇中、山稜を越えられるものと過信して、有視界飛行にもかかわらず回避操作を取らず雲中に入り、前方に山の斜面を視認して回避操作を行ったが間に合わず、尾根に激突したものと推定される。(要約)
如何に事故原因の調査が進んでも、人間の心理は解明できるものではないが、私は機長のYに多少なりとも驕りがあったのではないか、と思えてならない。
(了)
2002.09.18
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