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2009年1月

2009年1月28日 (水)

0053 ジャカルタの白昼強盗

勤め先がインドネシアに現地合弁企業を作り、その設立から終焉まで3度単身赴任しました。合計5年強になります。
3度目の赴任ではジャカルタ勤務でしたが、運転手つきの専用車を与えられておりました。長いサラリーマン生活で、最も優雅な時代であったと申せましょう。Photo

そのジャカルタで、同僚と白昼強盗に教われました。これがアメリカだったら、まずズブリとやられていたでしょう。
私は生き残ったというか、死に損なったというか、そんな経験がいくつかありますが、これはそのうちの一つです。
写真はイメージで、現在はジャカルタ市内でベチャ(人力車)は走っていません。また、私の若かりしころの写真で、手にしているカメラはオリンパス・ペンFという、ハーフサイズの一眼レフです。

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     「生き残った(4)」
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 2 それは1987年のクリスマス翌日(土)のことである。
 当時はまだ、土曜日は午前中の勤務であった。私の車は定期整備中とかで、同僚のTの車に同乗して、ジャカルタの高級オフィス街にあるラトウプラザ32階の会社を出て、南部の住宅街にある宿舎に着いたのは12時50分ごろ。車でおよそ20分の距離である。

 総務部長であるTは先輩である私に、後席右側を譲ってくれた。運転手のアチェはもう会社に長く、人柄も良くて信用できる。
 治安の悪いジャカルタでは、高級住宅はいずれも有刺鉄線のついた高い塀をめぐらし、日中でも門を閉めている。門の前で止まり運転手はクラクションを鳴らして、ご主人様の帰着を女中に知らせた。

 女中が走り出て、門を開けようとしたそのときである。
黒いヘルメット姿の男が2人乗りしたバイクが2台、クルマの両側に止まった。右側のバイク後席の男が運転席のドアを開け、アチェの首筋に長さ40cmくらいのギラリと光る山刀を突きつけた。
 右側後席のドアを開けようとしたが、私はドアロックをしていて開かない。左側の男がドアを開け、左席のTに山刀を突きつけ、彼のアタッシェケースを奪った。それを左側に回ってきたもう1人の男に渡し、さらに両者の間にあった私のケースを取ろうとして、若いTともみ合いになった。

 「抵抗しないほうがいいよ」とTを制し、盗るに任せたら、途中で買い物をした彼の買い物袋も奪って、2人ともバイクに飛び乗り、あっという間に消えていった。この間1分にも満たない。何が起きたのか、一瞬判らなかった。
 土曜日の午後で、住宅街にもかなりの人通りがあり、騒ぎになって、近くの人がバイクで犯人を追いかけたが、見失ったという。
そのうち警察官もやって来た。運転手にも私たちにも、怪我がなかったのが幸いである。ズブリとやられたら、命にかかわる。Photo_2

 警察で事情聴取を受け、幸いパスポートや労働許可証などはコピーであったため、思いのほか実害は少なかったが、日本の運輸大臣が発行した、私の英文航空免状を失った。
 その夜から警察官が、宿舎の警備をしてくれることになった。親切というより、非番警官のお小遣い稼ぎだろう。
 1その晩なんと2個のアッタッシェケースを、宿舎のボーイを通じて売りつけに来た奴がいた。警備中の警官に追われ、ケースを放り出して逃げた。

  犯人どもも、航空免状や空港立ち入りのIDカードなどは、金になると思ったのだろう。現金などは獲られなかったが、証明書類の再発行に、思わぬ出費を強いられた。
 治安の悪いジャカルタでは、日本人はとかく標的にされやすい。
 白昼強盗にもめげず、無事単身赴任を果たして、今日までしぶとく生き残っている。                                                                                                                       (了)

                    「生き残ったシリーズ」 (1200字) (2007.05.26)

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2009年1月23日 (金)

0052 内助の功・・・「功名が辻」

直江兼次がえらいモテようですが、NHK大河ドラマ「天地人」をご覧になって、いかがお感じでしょうか。
前評判が高かったせいか、私にはいまひとつ歯切れがよくないような・・・。まだ2回ですから、先行きはわかりませんが。

3年ほど前に大河ドラマになった、司馬遼太郎の「功名が辻」という歴史小説があります。これを題材にしたエッセイがありました。
小説ではあまり触れていませんが、その後の土佐山内家の治世は、必ずしも評判が良いとは、いえなかったようです。

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          「功名が辻」  
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 奇妙な名前の小説がある。文庫本なら四冊になる長編で、戦国時代を題材にした歴史小説なのだが、非常に面白い。引込まれるような展開で、最後まで読まされてしまった。

 日の出の勢いであった織田信長の家中にあって、ぼろぼろ伊右衛門と呼ばれる、うだつの上がらない青年武士がいた。信長の親衛隊でありながら、禄はわずかに五十石。
 その彼に、地元でも評判の賢く美しい嫁が来るという。

 この妻千代が、夫である山内一豊を助け、励まし、戦国時代を信長、秀吉、家康の三大英雄に仕えさせて生き抜き、ついには夫を土佐二十四万石の大大名に仕立て上げる、良妻賢母の物語である。
 この物語の始めの方に、貧乏でさえない夫の貧弱な老馬を、持参金を投げ出して駿馬に代えさせた逸話は、その昔小学校の教科書にも載っていた。

 自分は決して表には出ず、常に夫を立て、知恵を授け自信を持たせて、数々の難局に当たる。
そして一豊は、関ヶ原前夜の駆け引きで、戦勝した徳川家康をして「このたびの第一等の殊勲は山内一豊である」と言わしめた、一世一代の大博打に出た。

 一豊は決して凡人ではないが、武術も策略も人並みで実直なだけがとりえ、生れの良さからくる気品と誠実な人柄に、千代は惚れたのだそうだ。してみれば、先の「一世一代の大博打」も、恐らく千代の授けた知恵によるものだろう。

 この小説の作者は司馬遼太郎。
 改めて言うまでもないが、司馬の作品はどれも極めて面白く、読みやすい。新聞記者出身のこの作家は、文章が非常に短く、改行が多い。リズミカルで歯切れがよく、それでいながら俗っぽくならず、気品さえ感じられる。

 この痛快な長編小説が、今年のNHKテレビ大河ドラマの原作に採用された。主演は一豊に上川隆也、千代に仲間由紀恵、徳川家康に西田敏行という豪華版である。
山内一豊の知名度が低いせいか、今ひとつ話題にならないが、原作が良いから面白いものになるだろう。
 従来の歴史大河ドラマでは、NHKの手法は原作を忠実にドラマ化している。脚本は大石静、原作を生かすも殺すも脚本で決まる。大石シナリオは、はたしてどんなドラマ展開を見せてくれるだろうか。

 私は歴史、特に日本史が好きだが、やはり戦国時代が一番面白い。歴史ドラマとはいえ、所詮はテレビの娯楽番組なのだが、この作品は楽しみながら夫婦愛とか、夫の出世とか、現代のサラリーマンにも通じる課題について考えさせられる、お奨めの一編である。                                        (了)
                 (1080字)  (2006.01.01)

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2009年1月16日 (金)

0051 ハイパーレスキュー(人命救助のプロたち)・・・(雑誌連載第2回)

月刊雑誌「ヘリコプター・ジャパン」2008年12月号に掲載された、ヘリコプター・エッセイのPhoto 記事をご紹介しましょう。
この記事をアップするのに、出版社であるタクトワン殿に多大なご協力を頂きました。

 昨年(2008年)6月14日に発生した、宮城岩手内陸地震はまだ記憶に新しいのですが、その災害の大きさと、記録的に犠牲者の少なかったことが、記憶に残っています。そして、各自治体の防災ヘリを始め、多数のヘリコプターが組織的に活動して、災害救助や復興支援に活躍しました。

 この地震で災害の中心となったのが、宮城県栗原市と栗駒山の南側山麓です。つい先日登山道路の仮橋が完成したと、新聞に報道されておりました。栗駒山は宮城、岩手、秋田の3県にまたがる、標高1627mの大変美しい山です。
 家内の実家がこの栗原市で、栗駒山も良く訪れました。私のいとこはこの栗駒山の大きなイチゴ農家で、災害後ヘリコプターで通勤?したそうです。テレビのニュース番組にも、良く登場しておりました。

 Photo_3 今回は災害救助に活躍する、特別救難隊のお話をご紹介しましょう。また、末尾にある成牛の空輸だけでなく、この地方特産の錦鯉も、空輸されたそうです。
なお、記事写真にある「沢辺のけやき」は、別途項を改めます。
 

  (写真提供:株式会社 タクトワン)

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   「ハイパーレスキュー」
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 Photo_2 世にもかっこいい男たちがいる。東京消防庁消防救助機動部隊、通称ハイパーレスキュー隊という。
 この特殊部隊は、東京消防庁内で選抜されたエリートが、特別な訓練を受けて阪神淡路大震災後に編成された。
人命救助のプロ集団で、救急救命士の資格を持つものや、専用ヘリコプターの操縦士、整備士も含まれる。遠隔操作の出来る重機なども備え、自然災害に限らず、ビル火災などにも出動するらしい。

 2004年10月に起きた新潟県中越地震では、土砂崩れに巻き込まれた母子3人の車で、3歳の男児が災害4日後に奇跡的に救出された。余震が続く中を命がけで、人知をつくして救出に当たっているテレビのニュース画面には感動させられた。
 そして画面には出ていないが、悪天候で視界不良の中を狭隘な現場にぎりぎりまで接近して、隊員を降下させたヘリのクルーもまた必死であっただろう。
 あの怖さは経験した人でないと判らない。ヘリでは、高速回転するメインローターやテールローターが、立ち木や何かに接触したら、それで終わりなのだ。

 「救える命は必ず助ける。それが我々の使命です」と語った隊長の厳しい顔は、ある種の凄みさえ感じさせた。
 この大地震の被害総額は、阪神大震災を上回るという。しかし、人的被害が比較的少なかったのは救いであった。もちろん都市と山間部とでは、人口密度や諸条件が異なるが、重傷者の救出がスムーズに運んだことも寄与している。

1_2  阪神大震災から10年、今回の災害ではヘリコプターの活躍がとりわけ際立った。ヘリは1機では輸送力が小さいので、多数の機体を組織的に運用して効率を上げねばならない。地震に伴う火災も発生したが、ヘリによるすばやい消火で、大事に至らずに済んでいる。
 阪神大震災では大火災を消火できず、重傷者の搬出もままならず、世界中から「ヘリコプター後進国」と揶揄されたが、今回は汚名返上できたといえるだろう。
 これは阪神大地震の死者6000余という苦い経験から、この10年間国を挙げて、全国自治体に防災ヘリコプターを整備してきた成果である。Photo_4

 そしてこんな話も耳にした。地元の大手畜産会社が、餓死しそうな大量の生きた成牛を、民間の大型ヘリをチャーターして、被害地域外に空輸している。災害地に発着するヘリコプターは、災害救助に限られた航空法特別処置なのだが、国土交通省の判断が面白い。
 「飛行場以外の発着は災害救助に限定されるが、飢えた牛も被災者には違いない」として、認可されたそうである。こういう話のわかる役人がいることに嬉しくなった。                                                                                                                                            (了)   
                 (2004.11.17)

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2009年1月 6日 (火)

0049 椿の南禅寺

お正月らしく、ちょっと艶っぽいお話を・・・・。
写真はあえて載せません。 エッセイの味をどうぞ・・・。

  「椿の写真がありましたので、添えてみます。いかがでしょう。2009.01.21」

       ***********************Photo
         「椿の南禅寺」       
       
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 私の日記帳に、一枚の手作りのしおりが入っている。小さなビニールの透明な袋に、濃いピンク色の椿の花びらが二枚。乾いて押し花になっていても、ピンクの色は今でも艶めいている。

 小柄で目のきれいな彼女は、着物の似合う人だった。でも私が彼女の着物姿を見たのは一度しかない。琴と日本舞踊のお師匠さんである彼女は、今でもスラックスの類は一枚も持っていないという。
 京都の中心部にお稽古場を持ち、普段はミニスカートとヘルメットで、ゼロハンのスクーターで京都の町を駆け回っているらしい。
 仕事先で着物に着替えるのだそうだ。
「バイクの駐車違反でつかまっちゃった」
と赤い舌をペロリと出したりする。

 京都・岡崎公園の神宮通りには大きな鳥居があって、古風な建物の市立美術館と近代的な国立美術館が向かい合っている。私たちが会うのは、市立美術館のロビーだった。
 休日がなかなかかみ合わない私たちは、ふた月に一度くらい落ち合っては画展を見たり、ほど近い南禅寺までぶらぶら歩きを楽しんだ。
 大阪に単身赴任していた私は京都が好きで、何回足を運んだか分からない。主だった観光名所については、京都の人より詳しいと自負している。彼女とはそうした機会に知り合って、友達以上、恋人未満のお付合いが続いている。

 航空関係の技術者である私にとって、お互いにまったく別の世界の人なので、会って話すとひどく新鮮に感じる。京都生まれで京都育ちの彼女は、良くも悪くも京都しか知らないが、観光ガイドとしては失格である。私のほうがよほど詳しい。
 加えてひどい方向オンチで、京都駅までも一人では行けない。それでも大学だけは大津の国立滋賀大学だったそうだ。

「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。
娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす」
 有名な平家物語の書き出しにある、沙羅双樹の花の色を教えてくれたのは彼女である。現在は洛北一乗寺のマンションで、高校生の娘と暮らしている。

 そんな彼女が一度だけ、大阪の私のねぐらに夜遅く電話してきたことがある。息子が東大に現役で合格したという。よほど嬉しかったのだろう、私の帰りが遅いので何度もかけてきたらしい。
 後から聞いた話だが、彼女の身内からは「そんなしょむないとこ入って・・・」と言われたそうだ。京都人にとっては京大だけが唯一の最高学府であり、東大といえども「しょむないとこ」であるらしい。
 次の晩、先斗(ぽんと)町のあるお店で、会った事のない息子のためにささやかな祝杯をあげた。あまりお酒の強くない彼女は、数杯のビールで白い顔をポーッとピンクに染めている。

 春は別れの季節である。
 ある年の早春、私は東京に帰ることになった。多忙であったが何とか都合をつけた三月のある日、私たちは例の美術館で会って南禅寺を歩いた。レンガ造りの疎水のアーチと椿の花が美しかった。
 豆腐好きの彼女が、南禅寺名物の湯豆腐にもあまり手をつけない。湯豆腐に添えられた、一輪の椿の花が目にしみた。

 「寂しゅうなりやすな」
 いつになく口数少ない彼女の言葉が耳に残っている。息子を東京の大学に行かせているから、生活は楽ではないだろう。
 それから幾日かして、珍しく彼女から郵便が届いた。それがこのしおりである。
                                                (了)

         課題-3 「別離」    2001.04.03

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2009年1月 2日 (金)

0048 飛行船ここだけの話(4) テレビ生中継

大晦日のNHK-TV紅白歌合戦に、飛行船が登場しました。
総合司会の小野アナウンサーが搭乗していました。19:20の番組開始から、23:45の終了まで飛んでいたようです。クルーを始め関係者の皆様、本当にお疲れ様でした。

Ja101z_nhk_banner NAC(株式会社 日本飛行船)様より、紅白歌合戦に空中から生中継すると、ご連絡を頂きました。
昨年初夏のころ、このテレビ中継装置の改修工事を関西空港で行い、国土交通省大阪航空局の修理改造検査を受検しました。苦労が実って、担当者としては嬉しい限りです。

飛行船は航続時間が長く、飛ぶ気なら10時間でも飛べます。この様なロングランの放送中継には、まさしくうってつけでしょう。毎年正月2-3日に中継される、箱根駅伝の中継など、まさしくぴったりです。 ただ、飛行船は比較的高いところに上がるのは苦手ではありますが。
また、災害時の調査や実況中継にも、その低高度長時間飛行の特性を生かして、社会貢献のための飛行に活躍してくれることでしょう。
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飛行船地上の写真はNAC様から、 ロンドン・タワーブリッジ上空の写真は、
ドイツ・エアボーングラフィックス社長、ジョセフ・ヒューバー氏より頂いたものです。

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