0053 ジャカルタの白昼強盗
勤め先がインドネシアに現地合弁企業を作り、その設立から終焉まで3度単身赴任しました。合計5年強になります。
3度目の赴任ではジャカルタ勤務でしたが、運転手つきの専用車を与えられておりました。長いサラリーマン生活で、最も優雅な時代であったと申せましょう。
そのジャカルタで、同僚と白昼強盗に教われました。これがアメリカだったら、まずズブリとやられていたでしょう。
私は生き残ったというか、死に損なったというか、そんな経験がいくつかありますが、これはそのうちの一つです。
写真はイメージで、現在はジャカルタ市内でベチャ(人力車)は走っていません。また、私の若かりしころの写真で、手にしているカメラはオリンパス・ペンFという、ハーフサイズの一眼レフです。
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「生き残った(4)」
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それは1987年のクリスマス翌日(土)のことである。
当時はまだ、土曜日は午前中の勤務であった。私の車は定期整備中とかで、同僚のTの車に同乗して、ジャカルタの高級オフィス街にあるラトウプラザ32階の会社を出て、南部の住宅街にある宿舎に着いたのは12時50分ごろ。車でおよそ20分の距離である。
総務部長であるTは先輩である私に、後席右側を譲ってくれた。運転手のアチェはもう会社に長く、人柄も良くて信用できる。
治安の悪いジャカルタでは、高級住宅はいずれも有刺鉄線のついた高い塀をめぐらし、日中でも門を閉めている。門の前で止まり運転手はクラクションを鳴らして、ご主人様の帰着を女中に知らせた。
女中が走り出て、門を開けようとしたそのときである。
黒いヘルメット姿の男が2人乗りしたバイクが2台、クルマの両側に止まった。右側のバイク後席の男が運転席のドアを開け、アチェの首筋に長さ40cmくらいのギラリと光る山刀を突きつけた。
右側後席のドアを開けようとしたが、私はドアロックをしていて開かない。左側の男がドアを開け、左席のTに山刀を突きつけ、彼のアタッシェケースを奪った。それを左側に回ってきたもう1人の男に渡し、さらに両者の間にあった私のケースを取ろうとして、若いTともみ合いになった。
「抵抗しないほうがいいよ」とTを制し、盗るに任せたら、途中で買い物をした彼の買い物袋も奪って、2人ともバイクに飛び乗り、あっという間に消えていった。この間1分にも満たない。何が起きたのか、一瞬判らなかった。
土曜日の午後で、住宅街にもかなりの人通りがあり、騒ぎになって、近くの人がバイクで犯人を追いかけたが、見失ったという。
そのうち警察官もやって来た。運転手にも私たちにも、怪我がなかったのが幸いである。ズブリとやられたら、命にかかわる。
警察で事情聴取を受け、幸いパスポートや労働許可証などはコピーであったため、思いのほか実害は少なかったが、日本の運輸大臣が発行した、私の英文航空免状を失った。
その夜から警察官が、宿舎の警備をしてくれることになった。親切というより、非番警官のお小遣い稼ぎだろう。
その晩なんと2個のアッタッシェケースを、宿舎のボーイを通じて売りつけに来た奴がいた。警備中の警官に追われ、ケースを放り出して逃げた。
犯人どもも、航空免状や空港立ち入りのIDカードなどは、金になると思ったのだろう。現金などは獲られなかったが、証明書類の再発行に、思わぬ出費を強いられた。
治安の悪いジャカルタでは、日本人はとかく標的にされやすい。
白昼強盗にもめげず、無事単身赴任を果たして、今日までしぶとく生き残っている。 (了)
「生き残ったシリーズ」 (1200字) (2007.05.26)
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