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2008年12月

2008年12月28日 (日)

年金について若者の誤解

昨日は今年最後の忘年会、大いに盛り上がって楽しく過ごしました。
同年輩の知人が、先日若い人から、こんなことを言われたと憤慨しておりました。 「今の年寄りは、若いもんが養っている」
若い人たちから養ってもらっている、と思っているシニアはおりますまい。 私も現役時代、同様な経験があります。
以下は、私よりはるかに若い複数の人から、聞かれたことをまとめたものです。350

「年金って税金がかかるんですか?」
「モチロン、所得税はがっちり取られているよ」
「それって、税金で税金を払っているようなものじゃないですか」
「????」

「〇〇さんは、もう年金を受けているんでしょ?」
「受け取っていますよ。私の年代は60歳支給開始だったからね」
「会社から給料はもらっているんでしょ? それって二重取りじゃないですか? 凄い金額になるでしょう」
「何だとぅ! オイ、ちょっと待て!そこに座れ。よーく聞けよ」

「いいか、年金は過去数十年にわたって、給料から自動的かつ強制的に天引きされていた厚生年金保険料の、正当な払い戻しだ。君たちだって、現在払わされているだろう」
「給料はこの会社で、現役管理職として働く正当な報酬だ。金額が妥当かどうか、凄い金額かどうかは別として・・・」

「現在受けている年金が、若い人たちから支払ってもらっているなんて、とんでもないことだ。誤解するなよ」
「年金制度が出来たときに、支給するべき原資が無かったのだから、掛け金から支給するのは致し方なかったかもしれない。しかし、それは運用の方法のことであって、現に支給を受けている我々の知ったことではない。 制度開始時の行政の問題だ」

「日本の高度経済成長を支え、豊かな日本を作り上げてきたシニアが、自分たちが積み立ててきた原資を、正当に払い戻してもらっているのさ。何が悪い」
「でも、新聞によると、今の年金制度はその内破綻するかもしれないそうですね。我々は年金保険料を払い損するんじゃないですか?」
「それは俺は知らない。それを許さないようにするのは、君たち若い人の務めだろう。」

「それにしても、年金制度について君たち若い人が、これほど無理解なのは行政の怠慢だし、いたずらに不安をあおるマスコミにも、責任があると思う。ましてや、国民年金保険料の不払い問題などは、行政の怠慢以外の何物でもないよ」

「現在俺の厚生年金は、一部減額されているよ。65歳を過ぎたら、働いていくら収入があっても、減額は無いと理解してきた。国家に裏切られた気持ちだ。改定された制度は、年金の支給を受けるようになったら働くな、と言っているようなものさ」

周りはいつの間にか、沢山の人が集まっていました。
皆さんはどう思われますか?

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2008年12月27日 (土)

0047 京都の本能寺

歴史小説の大家、早乙女貢さんが亡くなりました。
硬派で独特の作風、ライフワークであった歴史小説「会津士魂」は、全21巻の大作だそうです。忍法モノもありました。
その早乙女貢氏の著書を、参考文献にしたエッセイをご紹介しましょう。 例によって表記は縦書きのままとします。 残念ながら本能寺の写真はありません。
本文には関係ありませんが、君が代に出てくる「さざれ石」の写真です。Photo

        **************************

            「本能寺」

 京都の中心街を東西に伸びるメインストリート、御池通りは地下鉄駅のある官庁街だが、市役所に向かい合って古刹があるのがいかにも京都らしい。法華宗総本山本能寺といい、戦国時代の覇者・織田信長終焉の地である。

 天正十年(一五八二年)六月二日未明、織田信長は配下の武将・明智光秀の謀反により、宿舎にしていたこの寺でその波瀾に満ちた生涯を閉じた。
 天下布武、つまり武力による天下統一を目指していた信長は、中国戦線で西国の雄・毛利元就と対峙していた羽柴秀吉を支援するため安土を出陣し、本体を先発させたため宿舎の警護には、わずかの親衛隊しかいなかった。
 このとき本能寺は自刃した信長の遺体と共に焼け落ちている。

 未明の襲撃者が明智光秀と知ったとき信長は「是非に及ばず」と、脱出の不可能を悟ったという。作家・早乙女貢はこの言葉を「日向めの謀反じゃ、万に一つの手落ちもあるまい」と解釈している。歴史上の常識では光秀は冷徹で緻密な謀反人のイメージが強い。

 明智十兵衛光秀は北近江の名門、土岐氏の血筋で戦術戦略共に優れ、鉄砲の名手で戦国の野戦司令官には珍しく、文武両道の教養ある武将であった。
 絶世の美女といわれた細川忠興(光秀の盟友・細川藤孝の嫡男)の妻ガラシャは、光秀の娘である。
 領地の丹波亀山(現在の京都府亀岡市)では治世につくし、領民から名君と慕われていた。室町幕府第十五代将軍・足利義昭に近侍し、朝廷の信任も厚い。日向とは光秀の官位・日向守のことである。

 信長は光秀の能力を高く評価していた。しかし最高権力者である自分に、毛並みと教養をひけらかし、何かと口出しする小憎らしい奴でもあった。優秀だが可愛げが無いのである。無学だがすべてに如才ない秀吉とは、何から何まで対照的であった。

 あるとき秀吉が難航している中国攻略を批判し、信長に建策して逆鱗に触れた。領地をすべて没収され、即座に中国に出陣して秀吉の配下に付けと命じられた。敵から切取った領地を与える、というのである。
 日ごろから見下していた秀吉の配下につくなど、誇り高き光秀の耐えられるものではない。また領地が無ければ一万三千の軍勢を維持することもできない。
 光秀にとって、まさしく窮鼠猫を噛んだのが本能寺の変なのである。

 私は在阪時よく京都を歩き、本能寺も訪れた。「ここで信長が亡くなったのか」と感慨深かったが、実はその後何回も移転され火災に見まわれ、昭和三年に再建されたものである。
 感激しているのは旅行者だけで、地元の人たちにとってはただのお寺に過ぎない。
                                                 (了)
(参考文献: 「明智光秀」  早乙女 貢  著  成美堂出版) 
 課題-1  「可愛げ」    (1080字)      2002.03.20.

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2008年12月21日 (日)

0046 もうひとつの上高地 (雑誌連載 第1回)

Hj

月刊誌「ヘリコプター・ジャパン」の原稿依頼で、ヘリコプター・エッセイなる連載を始めました。 その第1回の作品をご紹介しましょう。
同誌の2008年11月号に掲載されたもので、飛行中の写真は編集部から頂きました。

 
 このブログ「ロスミナの風」にアップすることの
                  ご了解は、頂いてあります。

              ******************************

             「もうひとつの上高地」

 新緑にはまだ早い、4月半ばの上高地は残雪が豊富だった。落葉松の新芽はまだ初々しく、盛夏には混雑する河童橋あたりも人影は少ない。連休を控えて、冬の間閉ざしていた旅館も山小屋も、客を迎える準備に忙しい。
 学生時代山登りに熱中していた私は、井上靖の山岳小説「氷壁」に刺激され、北アルプスの穂高は憧れの山だった。しかし、上高地を玄関にした穂高連峰は3000メートル級の峰が連なり、登山技術のみならず貧しい学生にとって、費用も日数もかかり山行するのは容易な事ではない。

 社会人となってから7年、憧れの上高地に出張で来ていた。仕事は点在する山小屋への荷揚げである。山男たちの旺盛な食欲を満たすため、膨大な食料燃料などの運搬は、それまでボッカという運搬のプロたちの人力に頼っていた。しかし苛酷な労働で後継者がいなく、高齢化している。昭和40年代後半のころであった。

 今回、散在する山小屋が共同でヘリコプターをチャーターして、一気に輸送してしまおう、という計画が立てられた。車の入れる最奥の徳沢に臨時のヘリポートを設けて、標高2800メートル付近の穂高岳山荘や、他の4箇所の山小屋に輸送する。
上高地の標高は1500メートルだから、毎回およそ1500メートルを上昇降下する。一般にジェットヘリは、高温と高地に弱い。機体にも乗員にとっても、かなりハードな仕事である。

 世の中は高度経済成長の真っ只中で、仕事はいくらでもあるから、このような“小さな仕事”に会社は最初、あまり乗り気ではなかったという。まして使用機の富士ベル204Bは当時の最新鋭機で、輸送能力が高く各現場で引っ張りだこだった。204b

 入念な準備と打合せの後、作業開始。
クルーは機長のKと私、国家試験合格直後で実務訓練中のS、新入社員のTの4人。私はこの仕事の責任者で確認整備士、それにSやTの訓練教官と営業部員の役割も兼ねる。顧客側はヘリを使うのは初めてだ。
 ヘリの飛行料金は高価で、時間当たり60万円以上もする。片道輸送のみでは勿体無いし、昨年来のゴミや不要品も山に捨てられないから、帰りに吊り降ろす。
 天候に恵まれ、モッコに入れた食料燃料、水や生活用品を吊って、北アルプス上空に舞い上がった。ボッカが一日がかりの行程を、ヘリは10数分で到達する。登山者のみに許された憧れの穂高岳の大展望を、ヘリの副操縦席から楽しんだ。
                                

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2008年12月18日 (木)

温泉付拘置所?を出所しました

定期健康診断でPSA値が高いと指摘され、専門医の診察を受けました。
検査を繰り返し、どうやら起訴猶予となりましたが、それでもここ数日癌に効くという、南東北の温泉療養所に収監されて参りました。 以下はその簡単なリポートであります。

 福島県郡山市の南15kmほどに、三春町というしだれ桜で有名な小さな町があります。Photo
ここに天然ラジウム岩盤浴「やわらぎの湯」というのがあり、我が家の鬼にしょっぴいて行かれました。ある人が名づけて”温泉付拘置所”とか。温泉というより湯治療養所です。

 岩盤浴は最近ブームで、日帰り温泉などにもありますが、ここは天然物です。万病に効果があるとかですが、アタマの悪いのには効きますまい。他には秋田県(だったかな)の玉川温泉くらい。しかし、ここの岩盤浴に入ると、日帰り温泉のそれは「岩盤浴のようなモノ」ですか。

 天然ラジウム放射線の効果で、癌に効果があるそうです。個人差はあるでしょうが、ある種の癌には良く効くとかで、癌が治ったという話はよくあります。副作用は無いそうです。
1回最大40分、1回入ったら最低5時間、間隔を空けて欲しいとのことで、1日3回風呂に入るのが仕事でした。岩盤浴と温泉で、1回が2時間近くになるので、結構ヒマがありません。読みたい本をこのときとばかり持参したのですが。
Photo_2

  あたりは見事に何も無いところです。三春駒という馬の産地で、「三春駒」という地酒がありましたが、これはまぁどこにでもある酒でした。
お年寄りばかりで、キレイなネェちゃんはいません。有名なしだれ桜(滝桜というそうです)は、満開時は見事だそうです。

  私の前立腺ガン疑診は、生体検査のお陰で起訴猶予となりましたが、女房殿の顔を立てた湯治でありました。ワタシ的には、ヤッパシ海のそばの温泉旅館のほうが・・・。

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2008年12月10日 (水)

0045 ほとけのジュンさん

ゼロ戦乗りの生き残り、名人ヘリコプター・パイロットの生涯のお話です。
月刊誌「ヘリコプター・ジャパン」2005年8月号にエッセイ2題として、既出の「ネコと日の丸」とともに、掲載されたものです。
「ネコと日の丸」は、下記のURLでご覧になれます。 どうぞお立ち寄り下さい。
http://rusmina-2.cocolog-nifty.com/blog/2008/08/0017_ea1a.html

 当時私は同誌に「さいえんす・のんふぃくしょん」という連載記事を担当していましたが、お堅い「ヘリコプターのメカニズム」の合間に、息抜きに入れました。
写真のゼロ戦は靖国神社博物館のもの、モノクロ写真はジュンさんとご一緒した、川崎ベル47の最終型です。ベル206Bはジュンさんの愛機でした。

           **************************
          「ほとけのジュンさん」

 2 ヘリコプター操縦士、ジュンさんこと故J・O氏は海軍ゼロ戦乗りの生き残りであった。
工学博士でゼロ戦の名パイロットである坂井三郎氏の「坂井三郎空戦記録」に1番機坂井、2番機にS・U、3番機はJ・Oと出てくる。当時はまだ紅顔の飛行兵であったろう。
魚釣りが好きで、特にへら鮒釣りは名人級であったという。手ぬぐいを首に巻いて、麦わら帽子をかぶると、かっこいいパイロットのイメージとはほど遠い。自分でも「俺は茨城の百姓だ」と称し、小柄で痩せ型、飄々としていて一種の風格があった。

 性格は温和で、この人の怒った顔を見たことがない。態度にうらおもてが無く、社長に対しても、新入社員に毛の生えたような私たちにも、全く同じ接し方であった。この点、もう一人のゼロ戦乗りであった、ウエさんことS・U氏とは何もかも対照的である。
パイロットとしての腕は超一流で、仕事が速い。特に農薬散布の仕事でクルーを組むと、仕事は丁寧で、特に急いでいる様子もないのに、僚機の中でいつも一番早く終る。こんな様子だから、何処に行っても誰からも好かれていた。Kh4

 ヘリコプターがジェット化され始め、タービン・エンジンが主流になったころ、熱心にジェット・エンジンの勉強をしていて、若輩の私のところにも気軽に教わりに来た。
何かのときにジュンさんは、会社からのある申し出を峻拒した事がある。細かい事は忘れたが、それは操縦士である彼にとって、不利になることではなかった。しかしジュンさんは、むしろ私たちの側に立ってくれ、感激した記憶がある。
 この話を社内の同窓の先輩に話したら、「格納庫に鬼はたくさん歩いているが、ホトケさんはあの人くらいだよ」といわれた。事実、当時は自衛隊出身がはばを利かせ、私たち学卒は何時までたっても新米扱いであった。

 Ata206b1 茨城県千代田村で、私は農協のエライさんから縁談を勧められたことがある。農薬散布の仕事にジュンさんと組んで行ったときの事で、おそらく彼が地元でも評判の、良い娘を見込んで農協さんと仕組んだものだろう。この縁談は実現しなかったが、もし実現していたら、今とは全く別の家庭が出来ていたはずである。
 大手のA社を定年退職したジュンさんは、あっさりとパイロットを辞めて、茨城県の実家で望み通りの百姓になり、そして数年前82歳で病没した。温厚で天才らしからぬ天才パイロットは、戦中戦後と高度経済成長期を生き抜き、天寿を全うしたのである。
                                               (了)
                                    (2004.03.10)

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2008年12月 5日 (金)

0044 空飛ぶ原始人

   (ニューギニアの奥地で石器時代人をヘリに乗せた)

Photo  この作品は月刊雑誌「ヘリコプター・ジャパン」2000年10月号に掲載されたものです。
インドネシア現地合弁会社勤務時代に、石油会社の仕事でイリアンジャヤで、現地人をヘリコプターに乗せました。 

 雑誌記事には私の写真もありますが、ちょっと照れくさいので・・・1990年ごろのお話です。 このヘリコプターはベル212型といって、双発タービンの中型機で最大乗客定員は13名です。

   世界の秘境・ニューギニア島

 東京から東経 140度線に沿って真南に約 5000km 。赤道のわずか南に、世界で何番目かに大きな島(多分日本全土よりずっと大きい)、恐竜に似たニューギニア島があります。
東経 141度を境に東側は独立国パプアニューギニア、西側はインドネシア領イリアンジャヤ州です。首都ジャカルタからガルーダ航空のジェット機を乗りついで、7時間でイリアンのほぼ中央にある石油の街ティミカに着きます。もとよりホテルもタクシーもないので、観光客の立入るようなところではありません。Photo_2

 このティミカの街から東へベル 212で 70 分、大ジャングルと湿地帯と蛇行する大河の真ん中にポツンと石油会社(CONOCO-WARIM)のモムグ・ワリム基地があります。内陸部の資源探査の仕事でジャングルの中に沢山のヘリパッドを作り、ベル 212, 2機をフルに飛ばして人員、機材、食料等を輸送しているのですが、何せ赤道直下で年間 200日も雨が降るところなので、運航は容易なことではありません。

 212 それでもABC-AIR(日本国内の大手のヘリ事業会社A社、大手の総合商社B社、インドネシア国の航空機使用事業免許を持つC社の現地合弁企業)は、ベル 212、 2機を投入して月間およそ 300時間を飛ばしています。その内の1機は月間 196時間も飛んだそうです。

   石器時代人・ダーニー族

 ある日このモムグ基地からヘリで北へ 45 分、標高 1200mの高地にある最奥の街ワメナに、作業員を迎えに行くことになりました。週に何便かのローカル線のプロペラ機が着くのみで、陸路は全くありません。特にこれといった産業がある訳でもなく、現代と原始が混在する不思議なところです。物価は高く(缶ビールはジャカルタの3倍)労働力は安く、住民はどうやって生計を立てているのかよく判りません。Photo_3

 この街の周辺(とはいえ小さな街をはずれるとすぐジャングルですが)に石器時代そのままの生活を続けるダーニー族が住んでいます。日本のマスコミにもしばしば登場した、ニューギニア奥地の裸族です。このダーニー族の男性を石油会社が作業員兼ジャングル道案内として雇おうという訳です。

   空飛ぶ石器時代人

 Photo_4 ある日、モムグ基地に帰着したベル 212, PK-EBO機(T・ムゴノ機長・クルーは全員インドネシア人で日本人はマネージャーである私のみ)を出迎えてキャビンドアーを開けた私は、キャビン内からギョロリとにらまれてギョッとしたものです。ちなみに当時は、外国人はワメナには入れませんでした。

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2008年12月 2日 (火)

0043 YS-11の二世登場

日本で今、YS-11二世とも言うべき、国産小型ジェット旅客機がYs11_4
開発中なのを、存知でしょうか。MRJと言います。
検索エンジンでMRJで検索すると、沢山出てきますが、残念ながら
普通の人を対象にした、読みやすくわかりやすいものは、あまりお目にかかりません。
 私の通う文章教室で、自由課題としてMRJの現況をまとめました。いわば私のエッセイ作品の最新作で、自分の書きたいように書きました。
何の話題であれ、難しい内容を易しく書くのは、本当に難しいことです。
ANAモデルの写真は、あるHPより拝借しました。

              *************************
                三菱MRJ    

 Mrj 日本で今、小型ジェット旅客機の開発が進められている。
MRJという。三菱・リージョナル・ジェット(Mitubishi Regional Jet)の頭文字で、70席から90席クラスのローカル線用の機体。
3年後の初飛行を目指している。三菱の名前が示すように、三菱重工が主体となって、経済産業省、国土交通省も出資と行政の形で協力する。

 三菱重工は既にこのため、三菱航空機という専門の別会社を立ち上げた。そしてこの3月、全日空から25機の発注を受けて、正式にキックオフつまり開発開始が決定された。総開発費はおよそ1900億円。300機以上売れないとペイしないというから、一民間企業としては、大変な覚悟がいる。7月中旬ロンドン郊外で開かれたファーンボロー・エアーショーでも、世界のエアライン業界から大変注目されたが、注文を得る事はできなかった。
 予想機体価格は公表されていないが、エアラインとしてもYS-11以降実績のない日本の旅客機を、実物も完成していないのに注文するわけにも行かない。全日空の25機確定発注は、まさしく大英断なのである。Mjr

 このMRJの最大の特徴は経済性にある。日本の持つ最新技術の粋を結集して、運航効率が良く世界のライバル機に対し、30%も燃費が良く地球にやさしい。
 同クラスのライバルはブラジル、カナダ、ロシア、中国がある。このうちブラジル製の機体はすでに完成して、日航が10機を購入し、その初号機の引渡しを受けている。他の各国の機体も実機がすでに完成して、ロールアウトか試験飛行の段階だ。MRJがいささか遅すぎるのが気になる。

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