« 2008年10月 | トップページ | 2008年12月 »

2008年11月

2008年11月28日 (金)

0042 都心上空エンジン故障!

このブログの常連である元同僚から
「面白いけど、最近ヘリが出てこねぇーなー、昔の義理を忘れたんじゃねーだろうなー」
と脅迫?を受けました。

 月刊誌「ヘリコプター・ジャパン」NO-38(98年6月号)に掲載された記事に手を加えてアップします。
誌上では副操縦席の私が写真で出ていますが、ちょっと面映いので・・・。
文中のNg回転計とは、エンジンの状態を示す最も重要な計器です。
  (写真の機体は本文とは関係ありません)

     *******************
    「都心上空エンジン故障!!」

S762 19XX年、元旦。たった今昇ったばかりの初日に照らされて、ミルキーホワイトの機体が薄いピンクに輝いている。広い東京ヘリポートのエプロンには、我々以外に人影はない。

 アメリカ建国200年を記念して開発された、最高級の純民間用ヘリコプターである シコルスキーS-76A,JA-95XXは当時日本で唯一のVIP専用の機体だった。最新鋭の装備を備えたこの機体は、標準11席の客室を5席で使っている。       
 毎年、元日の日の出と共に、祝賀行事を終えたVIPを迎えに行くのが恒例だった。 試運転を終えてすべての準備を完了した機体を、機長は静かに浮上させた。離陸前点検が続く・・・。自動操縦装置もエンジン出力もすべて正常。右前方からの朝日が眩しい。

 「レディフォーティクオフ・ランウェイ・ゼロワン!」
運用時間前で応答のないタワーに宣言するように無線通信すると、機長は北に向けて離陸を開始した。眼下を格納庫が飛びさり、荒川の鉄橋を過ぎる。
 「ギァー・アップ(脚上げ)!」
機長の声に、副操縦席の私が、白いノブの付いた脚上げレバーを上げると、シューッと脚の引き込まれる音が腹の下から聞こえる。数秒置いて3ッの注意灯が消えた。
すべてノーマル。

 突然ブッブーと断続したブザー音がレシーバーに飛び込んできた。同時に計器盤上の赤ランプが目に突きささった。ドキンとしたどころか、ガンとぶん殴られたような気がした。胸がキューっと痛み、一瞬頭が真っ白になった。
とっさにあたりを見回したが、計器盤上の指示は、他に特に変化はない。

 「ナンバーワンエンジン・フェリアー(第一エンジン故障)!!」
機長の声は意外と落ち着いていた。機長と顔を見合わせ、2人同時に計器盤の第一エンジンのNg回転計に目がいった。計器の指針が範囲一杯に振れている。計器に内蔵されているデジタルの数字は94.0%で動いていない。
計器盤左上方のエンジン故障を示す警報灯のライトがいやに鮮明に赤い。エンジン火災”を恐れて、火災警報灯が点灯していない事を真っ先に確認した。ゆるく左旋回して後方を見たが、煙を引いている様子もない。
この間にもブザーはなり続け、第一エンジンの赤ランプは消える気配は無い。

 しかし関連するその他の出力監視計器類も、両方のエンジンともに全く正常である。姿勢も爆音も何等の変化もない。機体は快晴微風の元日の都内上空を、自動操縦で緩やかに上昇を続けている。速度は経済巡航速度の125ノット(時速240キロ)を示しており、すべてオメガ航法装置のコンピューターに指示した飛行計画の通りである。

 私たちは再度顔を見合わせた。どうやら警報装置の誤作動らしい。第一エンジンは正常に回っている!! しかしVIPの任務をどうするか。
それまで不規則に振れていた第一エンジンのNg回転計の指針が、上限側で一瞬止まった。同時につきっぱなしであった赤ランプが、点滅するのが見て取れた。1秒後にNg回転計の指針は再び振れはじめ、赤ランプはまたつきっぱなしになった。S761

 機長は無線で運航管理担当者に状況を連絡し、とりあえず任務を継続する旨を伝えている。副操縦席にいた私は、にぎりこぶしでNg回転計の前面ガラスを2~3回、かなり強くひっぱたいた。繰り返しているうちに突然振れていた回転計の指針は91%付近で止まった。
同時にブザー音も赤ランプも消えた。まるで操縦席内がシーンと静まり返ったように思えた。両エンジンのNg回転計の指示はほぼ一致している。
犯人はNg回転計だった!!!

 皮肉なことに、このNg回転計は任務完了までケロリとおさまってしまった。もちろん帰投後、徹底的に原因調査したのはいうまでもない。
やはり計器自体の内部故障であったが、計器の故障で緊急事態の警報が作動するようでは、設計が悪いと言われても仕方があるまい。(この件はその後改修工事で改良された)
また当時のアメリカ製品は航空機産業に限らず、品質管理体制が低下して信頼性を失っていた。しかしながら最も大切なのは、クルー(乗組員)がクール(冷静)になることだと痛感させられる一件であった。                                            (了)                    
                                                                                       1996.12.26

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年11月25日 (火)

0041 トリスを飲んでハワイへ行こう!!

サントリーのDMを見ていたら、新しいオールドのCMがありました。これは秀逸です。年頃の一人娘を持った親父の、複雑な心情がにじみ出ています。
コマーシャルソングが変わらないのも、嬉しくなりました。
CMに関する、懐かしいエッセイをご紹介しましょう。

先日訪れた、スパリゾート・ハワイアンズで「トリスを飲んでハワイへ行こう」のポスターを見つけました。
アンクル・トリスのイラストは、あるHPから拝借しました。

        **************************
            「アンクル・トリス」

 「よぅ、しばらく」
バーの扉をグィッと開けて一人の初老の男が入ってくる。1
 「フン、何さ、今ごろ不意に帰ってきて・・・」
カウンターの中にいた小粋なマダムが、すねてつぶやくのだが口元がほころんで、その眼は嬉しさを隠しきれない。
 「いつもの・・・ね」
 「・・・・・・・・」
 帽子とコートをハンガーにかけて、止まり木についた男の前にグラスが置かれ、新しいボトルからウィスキーが注がれる。
トクトクトクという音が心地よい。
クィッとグラスを空けた男の口元まで、見る間にピンクに染まる。二杯目を空けると目のふちまで染まり、ピンク色はその濃さを増していく・・・。

 2 最近また見られるようになった、トリス・ウィスキーのテレビ・コマーシャルである。
この傑作アニメの作者は柳原良平氏。自称船キチガイの売れっ子で、コピーライターの山口瞳氏と組んで、かつては広告上手で知られたサントリーの宣伝マンだった。

 「美味い!安い!トリス!」とか「トリスを飲んでハワイに行こう」などの名コピーは山口氏の作品で、当時の世相を反映していて面白い。東京オリンピックのあったころである。
 日本中でトリス・バーが全盛であったころ、銀座の真中にこのアンクル・トリスの巨大なネオンが輝いていたものである。
 懐かしくなって、私は久方ぶりにトリスを買い込んだ。
こんな味のあるテレビ・コマーシャルが、最近ではめっきり少なくなった。1_2

 とにかく印象付ければ目的は達する、とばかりに単純に商品名を繰り返すものが多い。お笑い系のドタバタが特にいけない。これでもか、とばかり大音響で聞かされる。高額な費用をかけているのだから、もう少し知恵があってもよさそうなものなのに・・・。
 最近のコマーシャルのつまらなさに愛想をつかして、ついNHKにまわしてしまう。特に好きという訳ではないのだが・・・。                      
                                                  (了)
  課題‐1「つまらん!」 (900字)   2003.07.27

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年11月24日 (月)

0040 リニアモーターカー試乗会

先日のテレビで、JR東海が東海道第2新幹線として、リニア方式で建設する、と発表がありました。(2008.09.27)

 いつまでも煮え切らない国に痺れを切らせて、独力で踏み切ったものでしょう。テレビで社長は予定運賃など、具体的なことは言いませんでしたが、事業としての成功を祈りたいものです。
 以前ですが、JR東海のリニアモーターカー試乗の機会がありました。その様子をまとめたエッセイがありましたので、ご紹介しましょう。

        *******************************

            「2003年リニアの夏」

 H15 この夏の8月1日、JR東海のリニアモーターカー試乗会に参加の機会を得た。最高時速500kmという、超伝導磁気浮上方式で走る次世代の超高速鉄道である。

 近い将来、輸送力に限界がくるといわれる新幹線だが、現在東京・大阪間を1時間で結ぶ第2新幹線が計画されている。国家プロジェクトとして、すでに20年以上研究が続けられ、山梨県都留市付近に延長30kmの実験線が建設された。将来は中央新幹線の一部となる。

 思いがけず試乗会の案内を頂いた。鉄道ファンを自認する私にとって、この試乗会は見逃がせない。中央高速・河口湖線の都留インター近くに、立派な実験センターがある。
招待客は指定された時間に、1回に200名くらいが簡単なプレゼンテーションを受けて乗り込む。運行は完全自動化されていて、運転士は乗務しない。1回の試乗時間はおよそ30分位。実験センターを中心に、30kmの実験線のうち18kmを往復するのだそうだ。わずか18kmの距離で500km/hも出せるのだろうか。H152

 車両は意外に小さく、在来線特急よりやや狭い。低速時には車輪を使うのだが、スタートしてからの加速がすごい。往路は車両が浮上するのを実感してもらう、とのことで250km/hくらいまで。それでも160km/h付近で浮上して、それまでゴトゴトしていたのがスッと無くなる。ガイドウェーというレールから、10cmくらい浮上して走るのだそうだ。浮上すると車輪は引き込まれてしまう。

続きを読む "0040 リニアモーターカー試乗会"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年11月19日 (水)

0039 飛行船ここだけの話(3) ガスの洗濯

1  飛行船はヘリウムガスという、特殊な金属を燃やして作るガスを充填して飛びます。
このガスは不燃性で人畜無害、水素ガスより浮力は10%ほど低いのですが、安全です。

 しかしこのヘリウムガスは、ガラスでも通す、といわれるほど透過性が良く、また空気と良く混ざります。ほんの少しでも隙間があると漏れ出し、浮力が低下します。ヘリウムガスは非常に高価で、漏れて減ったガスは補充しなければなりません。この費用は飛行船の維持費のかなり高い割合を占めます。Photo
 漏れて減ったガスの部分には、当然空気が入り込みます。ヘリウムガスは純度99%以上が理想ですが、入り込んだ空気と混合して純度が下がり400v ます。純度が1%下がると、それだけで飛行に影響を与えてしまいます。

 飛行船は、常時ヘリウムガスの純度をチェックしていて、純度が低下すると格納庫に入れてガスの純度を上げる作業をしなければなりません。ガスの純度(ピュリティ)を上げる作業をリピュリファイアを呼びます。
 Photo_2 400V交流電源を使う、トラックぐらいの大きな特殊装置にヘリウムガスを通し、純度を上げます。この作業は屋外では出来ません。鹿児島市にある格納庫まで、行かなければならないのです。開始すると、昼夜ぶっ通しで48時間くらいかかります。

 飛行船胴体のごく小さなガス漏れを発見する、特殊なカメラがあります。Photo_3 ドイツから、このカメラとオペレータに来てもらいました。なんとチャーミングな女性です。ほかにも何人かのドイツ人技術者が来ており、エンジンはアメリカ製なので、格納庫内はドイツ語、英語、日本語が飛び交っておりました。 

 飛行船の飛行料金が高く付くのもわかりますね。それにしても、ガスを洗濯するなんて、思いもよりませんでした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年11月18日 (火)

0038 激怒させるための手紙

来年のNHK大河ドラマは、火坂雅志氏原作の「天地人」だそうです。脚本は小松江里子氏、主演はだ妻夫木聡氏だそうで、どんなドラマになるのか楽しみです。

 私は日本史、特に戦国時代史が好きですが、少し以前に書いたエッセイがありました。このドラマの主人公、直江兼次の直江状を題材にしたものです。司馬遼太郎も「関ヶ原」の中で、この直江状を取り上げておりました。

 もとより、ただの航空技術者の勝手な作文です。背景や考証の至らぬ点は、なにとぞご容赦のほどを。
 なお、原文は縦書きで、表記はあえて縦書き表記のままとしました。
写真は徳川家康のお墓、有名な日光東照宮の陽明門です。

      **********************************
        「激怒させるための手紙」

 日本戦国時代史上もっとも慇懃無礼な手紙、というものがある。
 この手紙の目的は只ひとつ、相手を挑発して怒らせ、戦を仕掛けさせる事にある。世に直江状と呼ばれるこの手紙は、実物は現存していない。一説によると、受取人が激怒のあまり、破り捨てたとも言う。受取人は天下取り目前の徳川家康、当時五十九歳。Photo

 慶長五年九月(西暦千六百年十月)岐阜、滋賀県境の関ヶ原で、日本を二分した大合戦があった。「天下分け目の関ヶ原」として、この戦いは日本国民なら誰でも知っている。そしてこの合戦に入る、はるか以前から東西両軍で、さまざまな駆け引きが行われていた。

 東軍総大将、徳川家康は大阪城西ノ丸にあって、西軍総大将代行の石田三成に「戦を起こさせるべく」挑発を繰り返していた。
 西軍は豊臣家大老で大の家康嫌いの、会津百二十万石藩主、上杉景勝と呼応して「家康を会津討伐に向かわせるべく」工作している。家康が留守にした隙に、大阪で石田三成が挙兵し、家康軍を挟み撃ちにしようという、雄大な戦略であった。もとより狸親父の家康は、西軍の作戦である事は百も承知である。

 Photo_2 慶長五年四月、家康が上杉景勝に謀反の疑いで送った、問罪使に対する返答の手紙がこの直江状なのである。筆者は上杉家筆頭家老の直江兼続で、家老であると同時に、米沢藩三十万石領主の大大名でもあった。豊臣秀吉をして「天下の仕置き(行政)は、山城に任せよ」と言わしめた、文武ともに優れた名将であり、賢臣である。
直江兼続の官位は従四位侍従、山城守という。当時四十一歳。

 私は日本史が好きで、特にこの戦国時代史が面白い。しかし、この直江状なるものは、作家司馬遼太郎の創作ではないかと思っていた。そもそも「相手を怒らせるための手紙」とはどんなものか。
 興味を持って調べてみると、書籍でもインターネットでも、実にさまざまな資料が出てくる。戦国時代史が専門の静岡大学小和田教授によると、あらゆる角度から研究して、この手紙が実在したのは事実らしい。兼続の他の書状からみて、名文であったであろう。

 司馬遼太郎は著書「関ヶ原」の中で、徳川家康に「これほど無礼な手紙は、わしの生涯で見たことが無い」と言わせている。殆んど茫然自失であったという。そして会津討伐に自ら出陣し、石田三成の挙兵を知り、栃木県小山から取って返し、関ヶ原の戦いとなった。

 戦後、事実上徳川の天下となり、上杉景勝は家康に詫びを入れてお家滅亡を免れ、Photo_3
米沢三十万石に減封された。このとき自領を投げ出し、必死で上杉家を救ったのは直江兼続その人である。
 優れた戦闘指揮官で文才があり、詩歌にも通じていた兼続の「史上もっとも無礼な手紙」は、日本の歴史を動かす手紙でもあった。  
                                  (了)
  課題「○○への手紙」 (本文 1100字) (2005.01.10)

参考文献  「関ヶ原合戦のすべて」 小和田哲男著 新人物往来社

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2008年11月15日 (土)

鬼のいぬ間に・・・

 女房殿が、母親の介護で実家に行っている留守に、ふらりと一人旅を楽しんできました。行先は福島県いわき市。
お目当ては「あんこう鍋」、目的は「アクアマリンふくしま」小名浜港にある巨大水族館で、恋魚“まとうだい”に会いに行きました。

 常磐線の特急スーパーひたちは早くなりましたね。
湯本まで200km余を2時間半、 表定速度80km/hです。
スパリゾート・ハワイアンは初めて訪れました。舞台装置は大掛かりですが、何だか時代遅れのヘルスセンターみたい。 
 2_2 面白いものを見つけました。「トリスを飲んでハワイへ行こう」のポスターです。おなじみのアンクルトリスに合いました。

 泊まりはホテル東急インいわき、出張でポイントが貯まっていたので「あんこう鍋」のコースにしました。夕食は近くの地魚料理のお店に出向きます。これが素晴らしく良かった。
鍋もお刺身もたっぷり2人前、目ひかりはから揚げで、美味しい小魚です。いわき市の市の魚とか。
 Photo_2 写真にあるように、お刺身に魚の名前を書いた札がついてます。にくい気配りで、新鮮で味にうるさいつもりの私も満足でした。あんこう鍋は高価なものですが、これも良い味。
 ホテルのロビーにベルナール・ビュッフエの絵がありました。 陰鬱でメランコリックな作風のこの画家は、私の好きな一人です。Photo_3

 「アクアマリンふくしま」はこれで4度目。日本で始めてサンマの飼育の成功したことと、古代魚シーラカンスの研究で、関係者には高く評価されています。
恋魚“まとうだい”はいませんでしたが、親戚のイズミダイによろしく、と言っておきました。
1 イズミだいは、まとうだいと形は良く似ています。しかしユーモラスでとぼけた味わいは、やはりまとうだいの方が、一枚上手でしょう。

 写真のシーサーは沖縄与那国島のイベント会場のものです。青い注意書きのプレートにご注目。Photo_4
「さわらないで下さい。かみます」とあります。 
こういうウイットに富んだ姿勢が大好きです。

続きを読む "鬼のいぬ間に・・・"

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年11月11日 (火)

お年寄りの介護

高専賃という施設をご存知でしょうか。高齢者専用賃貸住宅の略称で、名付け親は厚生労働省。なんとセンスの無いネーミングでしょう。

私ごとですが、ただ一人の肉親で兄弟の一番上の姉が、マンションで独り暮らしをしていました。米寿を迎えたこの姉貴は五体満足、健康ですが物忘れが激しくなりました。
息子を胃がんで亡くし、娘は兵庫県に嫁いでいます。マンションで火事を出しそこね、高専賃に移しました。マンションから車で10分、私の家から車で1時間の距離です。 昨日、“生きているかどうか”様子を見に行ってきました。最低月に1回は、訪ねるようにしています。

新築3階建て、全館冷暖房完備、完全個室のこの施設は民営で3食付、24時間介護対応可能です。隣は小公園で環境は良好。 毎月の費用は食費込みで、¥170,000;-強。
姉貴はお友達も出来て、又以前のお友達も訪ねてくれて、ここの生活を大変喜んでおり、私や姪夫婦、もちろん我が女房殿も安心しました。食事も気に入っているようです。悩みは個室が火気厳禁なので、息子の仏壇にお線香が上げられないこと。喫煙者には喫煙室が別にあります。
亡くなった息子が独身だったので、その厚生年金+本人の年金で施設の費用は充分まかなえます。
何より本人が「良い所に入れてくれた」と喜んでくれるのが、嬉しいです。施設の担当者は、その道のプロで親切、まずは恵まれた老人といえましょう。Photo
問題は持ち家であるマンションを、どう処分するかです。

女房殿の母親は宮城県栗原市の実家で、同じく一人暮らし。近くに息子夫婦や娘(次女)夫婦もいるのですが、この家から離れようとしません。年は奇しくも私の姉貴と同じ。
イヌと猫を飼っていますが、エサ代が高くて・・・なんてメールを女房がよこしました。
長女である女房殿は、親の介護を次女の妹と交代するため、1ヶ月ほど里帰りしています。
地方にも施設はあるのでしょうが、共同生活ができない人なのと、田舎の偏見で施設=姥捨て山のイメージが強いようです。

私らの年代になると、多かれ少なかれ親の問題はあるでしょう。ただ言えることは、老後資金は多いに越したことは無いようです。
それにしても女房殿が留守だと、どうしてこうも心楽しいんでしょうねー。ときめきはありますが、古川柳いわく;-
「女房が、焼くほど亭主、もてもせず」

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年11月 6日 (木)

0037 アジア麺事情

東南アジアの麺類についてまとめたエッセイがありました。適当な写真が無いのですが、総じて量は小ぶりなようです。
本文にはありませんが、このエッセイをまとめた後に行った、フィリッピンにもバッチョイというラーメンがあります。街中の食堂では30ペソ(70円くらい)だったでしょうか。
ちなみに当管理人は、日に一度は長いものを食べないと気がすまない麺好きです。
  (麺の写真の変わりに、セブ島にある有名な銅像の写真です)

        *************************
 
           「アジア麺事情」

 麺類というとなぜか、アジアの食べ物という気がしませんか。西洋ではイタリアにスパゲッテイがあり、スープで食べるものもあるのですが、それ以外あまり麺料理は見当たりません。アジアと聞くと、どうも薄汚い印象で、と眉をひそめる人が時折いますが、麺はアジアが本場です。
 麺類の好きな私は外国に行くと必ず、その国の麺を食べてみることにしています。Photo

 アジアで、種類が多く安くて美味しいのはまずタイで、麺は朝食に良く食べられています。
 麺の種類もラーメンからうどんに近いもの、春雨に似た米粉で出来たものや、きしめんのように幅の広いものといろいろ。小ぶりの丼で薄味、卓上の調味料で自分好みの味に仕上げます。お砂糖を入れたり、ライムを絞ってかけたりするのですが、これが意外にいけます。具は肉や野菜、お魚のすり身の団子など、好きなものをトッピングして、街中の食堂では日本円で50円くらいでしょうか。ホテルのレストランでは、こんな楽しみ方は出来ません。

 麺に限らずアジアで料理の美味しいのはベトナムでしょう。シンガポールではベトナムや世界の料理が食べられます。フォーという、うどんのような麺がとても美味しかったのを覚えています。ヤングに人気のあるゴイクンという生春巻きは、ベトナム料理です。
 香港では屋台から高級レストランまで、麺料理は実に豊富で日本のラーメンももちろんあります。でも日本の、というだけで高級料理扱いされ、庶民の食べ物という感じではありません。香港ではやはり中華料理の麺類がおすすめでしょう。

 仕事で長く暮したインドネシアでは、ラーメンのようなミークワという汁そばもありますが、ミーゴレンという焼そばがポピュラーです。街には専門店もあり、美味しいという評判の店はいつも込んでいます。一般に丼は小さめで、主食というよりおかずの感覚でしょう。ご飯と一緒に食べている人もいます。パクチー(コリアンダー)という香草が乗っているのが普通で、その強い香りは好き嫌いのわかれるところでしょう。

 ワールドカップで注目されている韓国では、冷麺が有名ですがこれにはスープ入りとスープなしがあり、また温かい麺もあります。辛いのさえ承知なら韓国も料理の美味しい国で、日本式のうどんやそばも人気があるようです。やはり日本に一番近い国ですね。
面白いことにラーメンの本場であるはずの中国では、印象に残る麺に出会っていません。

 こうして食文化から見ても、日本は紛れもなくアジアの一員と申せましょう。欧米志向、アジア蔑視の日本人がもしいるとしたら、大変残念なことです。
                                              (了)
      課題―3  「外国料理」    2002.05.09  (1080字)

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2008年11月 1日 (土)

0036 豊臣秀吉のお墓

今回はがらりと変わって、歴史を題材にしたエッセイをご紹介します。
来年のNHK大河ドラマ「天地人」の主人公・直江兼次の直江状を扱ったものもあり、おいおいアップしましょう。
豊国廟の写真は手元に無く、対照的な徳川家康のお墓である、日光東照宮の五重塔の写真です。Photo

私は歴史、特に戦国時代の日本史がが好きで、関連したエッセイが何篇かあります。
このうちタイトルを題材にしたものを、ご紹介しましょう。
あるところで発表した原作は、縦書きでしたが横書きにすると、かなり感じが変わります。
 表記はあえて縦書きのままにしました。
 
  *******************
     「豊国廟」

 琵琶湖を右手に見て瀬田の唐橋をかすめた下りの東海道新幹線は、やがて京都に入るため減速し、東山のトンネルを抜ける。
 この小さなトンネルの直上に、日本史上最大の英雄・豊臣秀吉の墓があることは、意外に知られていない。

 卑せんの身から立身して、ついに天下人となったこの人物については、いまさら説明の必要もない。
 “われおのこ”つまり“男の中の男”と呼ぶのにふさわしい。昔から太閤記を始め、さまざまな史書、小説が著され、映画に舞台、テレビドラマが生まれた。

 太閤秀吉の研究家で知られる静岡大学教授小和田哲男博士によると、晩年の秀吉自身が側近に記録させた「天正記」が、史実に比較的忠実であるという。
 これは当時の関係者も生存していたから、あまり事実と異なることも書けなかったのであろう。

 同教授によると秀吉の出生から二十八歳までは、ほとんど謎に包まれており、没後の詳細もまた不明な点が多い。秀吉の不遇な青年期までの信頼できる史料が、なかなか得られないのである。
 後に発行された太閤記の決定版といわれる「甫庵(ほあん)太閤記」や「川角(かわすみ)太閤記」も、史料的価値は高いとされるが、創作と思われる部分が多いことも否定できない。これが小説となると、作家のイマジネーションの世界が加わる。

 秀吉の病没は六十二歳の千五百九十八年七月、京都伏見城であった。おりから豊臣政権にもかげりが見え始め、対外的な影響を恐れてその死は極秘にされた。
 石田三成らの側近の手により、京都の油山というところに密葬され、後日葬儀の後に東山三十六峰の一つ、阿弥陀ヶ峰の山頂付近に埋葬されている。豊国廟と呼ばれるこの墓は、現在よく整備されてはいるが日本を代表する英雄のものとしてはあまりにも小さい。

 新政権として誕生した徳川幕府は、豊臣色を払拭するため豊国廟も徹底的に破壊した。それ以来、三百年近くも見捨てられていたこの墓を再建整備したのは、太閤記を宣伝に利用しようとした明治政府であった。
 秀吉は日本史上一番の人気者であり、大陸進出の先駆者として、国威発揚の材料にされたのである。

 私は在阪時のある初夏、京都の豊国廟や豊国神社を訪れたことがある。国立博物館や三十三間堂のある七条通りを東山に向かうと、京都女子大の背後で行き止まりとなる。長い石段を登ると、深い木立の中に西南に向かってひっそりと建っている。
 京都市街と伏見方面が望め、かつて天下に号令した日をしのびつつ、英雄は静かに眠っている。
                                (了)

 参考文献  
 「豊臣秀吉」     小和田哲男  著   中央公論社
 「新史太閤記」    司馬遼太郎  著   新潮社

     課題-1 「われおのこ」   2002.02.20

| | コメント (4) | トラックバック (0)

« 2008年10月 | トップページ | 2008年12月 »